テモテへの第二の手紙 第2章1~13節
2:1 そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。
2:2 そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。
2:3 キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
2:4 兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。
2:5 また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。
2:6 労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。
2:7 わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。
2:8 ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。
2:9 この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。
2:10 それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。
2:11 次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
2:12 もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。
2:13 たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。
只今、行われた幼児児童祝福式を感謝。私もCSから育った。50年前、在籍したCSクリスマス礼拝には200名ほどの子どもたちが集った。その頃、信徒家庭の子どもたちまでは手が回らず、放牧だった。一緒に育ったかつての生徒たちは教会にわずかに残るのみである。信仰継承に対して、教会全体の取り組みの大切さを覚える。
Ⅰ.福音の伝達
パウロは、テモテに対して「わたしの子よ」(1節)と呼びかける。生涯独身であったパウロが、若き伝道者テモテを霊的・信仰的な意味で子と呼んだ。間違いなくパウロは自分が培ってきたものをテモテに注ぎこんだ。1・2節を読めば、福音の伝わり方が分る。パウロからテモテへ、テモテから忠実な人々へ、忠実な人々からほかの者たちへと広がっていく。福音は人と言う器が持ち運び、人格的なふれ合いによって伝達される。Cf.私は物心が付くとCS礼拝に出ていた。メッセージを聞き、自分で聖書を読み、イエス様は良く知っていた。真の意味で信仰を持ったのは20才になる直前だった。一人の人との出会いが大きかった。その人を通してイエス様と出会った。… 先週はⅡコリント4:7「土の器」を語った。器は粗末でも、欠けていても良い。中味がイエス様、聖霊という宝であれば、そこに光を持ち、他の人へと証しされていく。
Ⅱ.福音の心構え
若きテモテに対してパウロは福音を伝える者の心構えを語る。第一に兵卒にたとえられている。兵士は敵と戦い、勝利を目指す。私たちの戦いは悪魔との霊的な戦いである。エペソ6:10以下にあるように、神様は武具を用意されている。真理の帯、正義の胸当、平和の福音の備え(靴)、信仰のたて、救いのかぶと、御霊の剣がある。第二に競技者にたとえられている。競技者は他の出場者もあるが自分と戦い、栄冠を目指す。信仰は自分への厳しさも必要である。競技者の厳しさをパウロは語る(Ⅰコリント9:24~)。第三には農夫にたとえられている。アダムの仕事はエデンでも、追放後も農夫である(創世記2:15、3:23)。土を耕し、作物の種を蒔き、育て、収穫を得ることは人類の基礎である。人事を尽くし、忍耐し、結果を委ねる所が信仰姿勢につながる。真実、忍耐、努力を持つ者となろう。
Ⅲ.福音の望み
最後にパウロは福音とは何かということを改めて語る。旧約聖書以来の預言の成就としてイエス様はダビデの末として生まれた。十字架の死、3日目によみがえられて救いを成就してくださった。イエス様が世に受け入れられなかったように、パウロにも迫害が続く。自己中心、自己充足を求め、悪魔が働くこの世は、神様を無視し、締め出そうとする動きは自ずと持ち合わせている。パウロは牢獄にあったが、神様の言葉は鎖でつながれるようなものではない。常に自由で、人がいる所ならどこにでも伝えていくことができる。遠くを想像するが、まず、一番近い家族に、子どもたちに福音は届けられるべきである。
神様は真実な御方であり、私たちの福音宣教を導かれている。私たちの責任を果たしつつ、この御方の働きに期待していこう。