聖  書:ローマ人への手紙 第12章6~18節
12:6 このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、
12:7 奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、
12:8 勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。
12:9 愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、
12:10 兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。
12:11 熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、
12:12 望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。
12:13 貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。
12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
12:16 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。
12:17 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
12:18 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。

先週は本年度の教会聖句ローマ12:1から語った。教会標語は「神の愛に仕える-奉仕・献身」である。この1年間を通しての説教主題としていく。

Ⅰ.信仰生活の実際(6節)
先週語ったようにローマ人への手紙は、前半1~8章が教理、中間9~11章が同胞の救い、後半12~16章が信仰生活である。先週の12:1~5は信仰生活の基本理念である。誰かが特別なのではなく、信仰者、皆がささげられた者である。今朝の12:6からが信仰生活の実際である。「与えられた恵み」とあるが、恵みはカリスという言葉である。恵みとは一方的に与えられ、無代価のものである。神様の最高の恵みは、イエス様の十字架のあがないによって開かれた救いにある。「異なった賜物」とあり、賜物はカリスマタという言葉であり、恵み・カリスから来ている。神様の最高の賜物はイエス様ご自身である(ヨハネ3:16)。独り子イエス様を賜わるほど私たちを愛された神様は、全ての良きものを下さる(ローマ8:32)。神様は恵みの神様であり、賜物を分かつ神様である。

Ⅱ.神様の賜物の実際(6-15節)
12:6「それぞれ異なった賜物」とあり、キリストの体である教会には多様性があり豊かさがある。(1)賜物のリスト(6-8節)預言:神様の言葉の説教、奉仕:神様に仕える行い、教える:神様を知的に理解させる、勧め:励まし、立たせ、促す、寄附:財やお金をささげる経済力、指導:正しく導くリーダーシップ、慈善:社会的弱者のための慈しみ、ここには7つの特別な賜物が記されている。(2)賜物の動力(9-12節)愛:神様の愛は真実、善を求める、兄弟愛:相互に慈しみ、尊ぶ、熱心:ひたむきさ、純粋さ、霊に燃え主に仕え:聖霊の聖なる炎、望み:神様の希望は喜びをもたらす、患難に耐え:苦闘は真心からの祈りを生む、これらは賜物を用いる動力となる。(3)人へと向かわせる(13-15節)与えられた賜物を動かす力があり、人を生かすために用いられる。対象は、貧しい聖徒、旅人、迫害する者、喜ぶ者、泣く者とある。賜物とは決して自己満足のためではない、教会を建て上げ、人を活かすためにある。

Ⅲ.信仰者の一致の実際(16-18節)
神様の賜物には一人一人に違いがある。バラバラになっていてはキリストの体が機能しない。協調して働かなければ命さえ失ってしまう。思いを一つにすることが最初に出てくる。妨げるものは、相手を低く見る高ぶり、相手より賢いという思い上がり、相手の悪への仕返しが出てくる。求めていくものは善と平和である。善や平和というと現世的な道徳のように聞こえる。道徳を中心にした宗教、教えも古来、現代に至るまである。聖書の善と平和は、神様ご自身から出て永遠に至るものである。善と平和を、神様に伺い、教えられ、導かれよう。

私に与えられている賜物を知り、賜物を土に埋めずに用いよう。神様の善と平和を求め、キリストの体である教会が成長するよう私を用いていただこう。