聖書:出エジプト記12:1~27
12:1主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、 12:2「この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。 12:3あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。 12:4もし家族が少なくて一頭の小羊を食べきれないときは、家のすぐ隣の人と共に、人数に従って一頭を取り、おのおの食べるところに応じて、小羊を見計らわなければならない。 12:5小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。 12:6そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、 12:7その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。 12:8そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。 12:9生でも、水で煮ても、食べてはならない。火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。 12:10朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。 12:11あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。 12:12その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。 12:13その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。12:14この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。 12:15七日の間あなたがたは種入れぬパンを食べなければならない。その初めの日に家からパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までに、種を入れたパンを食べる人はみなイスラエルから断たれるであろう。 12:16かつ、あなたがたは第一日に聖会を、また第七日に聖会を開かなければならない。これらの日には、なんの仕事もしてはならない。ただ、おのおのの食べものだけは作ることができる。 12:17あなたがたは、種入れぬパンの祭を守らなければならない。ちょうど、この日、わたしがあなたがたの軍勢をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、あなたがたは代々、永久の定めとして、その日を守らなければならない。 12:18正月に、その月の十四日の夕方に、あなたがたは種入れぬパンを食べ、その月の二十一日の夕方まで続けなければならない。 12:19七日の間、家にパン種を置いてはならない。種を入れたものを食べる者は、寄留の他国人であれ、国に生れた者であれ、すべて、イスラエルの会衆から断たれるであろう。 12:20あなたがたは種を入れたものは何も食べてはならない。すべてあなたがたのすまいにおいて種入れぬパンを食べなければならない』」。12:21そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。 12:22また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。朝まであなたがたは、ひとりも家の戸の外に出てはならない。 12:23主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。12:24あなたがたはこの事を、あなたと子孫のための定めとして、永久に守らなければならない。 12:25あなたがたは、主が約束されたように、あなたがたに賜る地に至るとき、この儀式を守らなければならない。 12:26もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、 12:27あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」。民はこのとき、伏して礼拝した。

レオナルド・ダ・ヴィンチの名作「最後の晩餐」はヨハネ福音書13章21節「あなたがたのひとりがわたしを裏切ろうとしている」とキリストが予言した時の情景を見事に描いています。この祭はエジプトからの脱出を記念するイスラエルの祭で「七週の祭、仮庵の祭」と共にユダヤの三大祭と呼ばれます。中でも「過越の祭」はユダヤ人にとっては最大の祭であり、現在でも各家庭においても厳密に行われています。

Ⅰ.最初の過越の祭(出エジプト)
エジプトに寄留していたユダヤ人は430年間、王の圧制のもとで苦しんでいました。民の叫びを聞かれた神はモーセを選びエジプトからの脱出を企てられます。9回に及ぶ災害にも耐えたパロに対して、10回目に「エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行う」という災害を与えられました。その災害からユダヤ人を救うために用意されたのが本日の箇所であり、後に「過越の祭」と呼ばれるようになりました。
1.小羊を取りなさい。(家族ごとに、傷のないもの、1歳の雄)、2.小羊を守り置きなさい。(4日間置く)、3,小羊をほふりなさい。(殺す)、4.小羊の血を塗りなさい。(家の入り口の二つの柱とかもいに)、5.小羊の肉を食べなさい。(火で焼き、種入れぬパンと苦菜を添えて)、6.旅支度で。(腰を引きからげ、足に靴をはき、手に杖を取って,急いで食べる)。

Ⅱ.最後の過越の祭(最初の主の聖餐)
イエスは過越の祭を前にして「最後の晩餐」の時を設けられました。イエスはその場で弟子たちの足を洗われました。自分を裏切る者を指摘されました。しかし最も重要なことは、最後の過越の祭を行い、最初の聖餐を制定されたことです。「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、『取って食べよ、これはわたしのからだである』。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、『みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。』」(マタイ26:26~28)。過越の祭は「血による贖い」の一つのひな型ですが、「主の聖餐」はその実態です。その意味において最後の過越の祭は、最初の主の聖餐となったのです。パウロは「わたしの記念として、このように行いなさい。主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」(Ⅰコリント11:24~26)と記しています。

Ⅲ.未来の過越の祭(御国における聖餐)
イエスは「最後の晩餐」において、「わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」(マタイ26:29)と言われました。天国においても飲食があるのでしょうか。聖書はキリストの再臨において「小羊の婚姻」(黙示録19:7)が行われ、「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。」(黙示録21:2)とあります。

ここに再臨信仰に立つ私たち一人一人の希望があり、楽しみがあるのです。