聖 書:マルコ13:32~37
13:32その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 13:33気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。 13:34それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。 13:35だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。 13:36あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。 13:37目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。

今日からアドベント・待降節を迎えた。この年のクリスマスに大いなる祝福を祈る。私たちは今この時に生きる者であるが、私たちと神様の時を考える。

Ⅰ.時が満ちたイエス様の初臨
イエス様が2千年前のクリスマスに降誕されたのは「神様の時が満ちる」(ガラテヤ4:4)ことによってである。具体的にどんな備えによって時が満ちたのか。周辺世界では、1)政治的に:ローマが共和政から帝政へと変わる。法制度、軍隊、社会基盤の整備による世界国家の完成。2)知識的に:ギリシャ文化の浸透。思想、言語の発達と深化があった。3)宗教的に:ギリシャ・ローマの多神教、東方の秘儀的な宗教、ユダヤの一神教という背景があった。ユダヤ国内では、熱心なメシア待望があった。荒野のヨハネによる罪の悔い改めの説教、ヨルダン川に洗礼を受ける人々が押しかけた。救い主降誕の条件が整えられていった。

Ⅱ.時が満ちていくイエス様の再臨
私たちはイエス様が既に来られた初臨と、イエス様が再び来られる再臨の間の時を生きている。今も見たように、イエス様が初めて来られた2千年前に状況は整えられていった。これから起こるイエス様の再臨はどうか。マルコ13章は、マタイ24章、ルカ21章と同様に小黙示録と呼ばれる。イエス様の再臨の前兆は偽キリスト、戦争、天災、迫害、不法、憎しみ等である。初臨は整えられていったが、再臨の際には一つ一つは崩れていく。イエス様の警告は、「気をつけなさい」5・9・23・33節、「目をさましていなさい」33・34・35・37節である。緊張が求められるが、人間には限度がある。常に心の片隅に忘れることなく、慌てないように備えることである。私たちは天の御国に属して、地上に生きる者である。ネヘミヤ4:16-18では、エルサレム城壁再建のためにユダヤの民は、片手は工事のために、片手は武器を持った。私たちも普段の働きをしながら、心はイエス様に向けている者である。

Ⅲ.時へと向かって行く私たち
イエス様も再臨の時を知っておられない。全知全能の御方が、ご自身の来臨の時を知られていないのか不思議である。片や、私たち人間は知らないこと、解らないことだらけである。神様であるイエス様が、安全でない人間の思いを解ってくださる。私はここに慰めさえ覚える。私たちは再臨を前に緊張があると先に言ったが、単純な比較などできないが、イエス様も再臨の時をご存知なければ、ある意味、緊張を持って待ち望んでおられるのではないか。イエス様は地上の生涯を父なる神様の御心に従われた。再臨の時も、父なる神様に従われ、この地上に遣わされて来られる。私たちも、イエス様の模範にならって、父なる神様の御心に従い、そこに生きるものである。

イエス様はここで、「わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人に言うのである」と最後に語られた。今はイエス様など知らないと拒めても、再臨の日には全世界の人が主を仰ぎ誰も拒めない。栄光が輝く、圧倒的な来臨に私たちは日々備えていよう(ヨハネ黙示録3:7-13)。完成と成就の時が来る。