聖 書:ヘブル13:7~17

13:7神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。
13:8イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。
13:9さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。食物によって歩いた者は、益を得ることがなかった。
13:10わたしたちには一つの祭壇がある。幕屋で仕えている者たちは、その祭壇の食物をたべる権利はない。
13:11なぜなら、大祭司によって罪のためにささげられるけものの血は、聖所のなかに携えて行かれるが、そのからだは、営所の外で焼かれてしまうからである。
13:12だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。
13:13したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。
13:14この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。
13:15だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。
13:16そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。
13:17あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。

4月第一聖日は新年度(2019年度)が始まり、教会創立記念礼拝であって2重の感謝を覚える。昨年度は教会創立60周年の大きな恵みをいただいた。本日、教会創立60周年記念誌が発刊された。編集委員の皆様によって、よく造り上げてくださったと心から感謝をささげる。61年目を迎えた新年度も主にある希望をいただいて進もう。

Ⅰ.過去から受け継ぐ
「神の言をあなたがたに語った指導者たち」とあるが、中田羽後師、森山諭師に始まって、中島秀一師に引き継がれて今日に至る。今年からの新五か年ビジョンの大テーマである「継承と発展」の継承の部分に当たる。過去の恵みを振り返って感謝することは信仰者のあり方そのものに関わる。米田豊師が戦時中過ごされた獄中での所感は「過去を思えば感謝。現在は平安。将来は信頼あるのみ」である。過去への感謝がなければ、現在の平安も将来の信頼もない。聖書は繰り返し、土台、基、礎を語る。イエス様ご自身が隅のかしら石となられた。土台をしっかりと据えることによって、大きな建物を造ることができる。恵みを数え、恵みに感謝することが、現在の力、未来への力の源である。

Ⅱ.将来も変わらない
8節「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。」とある。イエス様はどんな時代でも変わらない。どんな世界でも救い主であり続ける御方である。9節は確かな「教え」と目に見えるものを越えた「恵み」が大切であることを語っている。イエス様につながらないこの世の教え、見える恵みでは永遠には至らないことを示している。10節からは、旧約の規定に従って動物の犠牲をささげるユダヤ人に対してイエス様の贖いこそが完全で永遠につながることが語られる。イエス様が私たちを導きだしてくださるのが永遠の都(14節)、天の御国である。ユダヤ人は神の都エルサレムは永遠とさえ思っていたがやがて滅びる。創造以前から存在されたイエス様が、この地上に来てくださり、永遠に至る新天新地の完成を進めてくださる(森山師の再臨信仰)。イエス様に結び合うことによって私たちは永遠を持つことが出来る。

Ⅲ.現在の私たちがある
私たちは既にいただいている恵みに感謝し、永遠へと導いて下さるイエス様に目を向けるなら賛美は自ずとあふれる(15節:中田師の教会音楽)。私たちが周囲の人に目を向けていくなら、善や施しとなって表される(16節)。教会が持つ秩序を大切にしながら歩むことである(17節:中島師の教会形成)。

イエス様による救いの喜びを受け継いでいる。いただいている恵みに感謝しつつ、現在から将来へと向かっていく。神様が共におられることをイザヤは52:12「あなたがたは急いで出るに及ばない、また、とんで行くにも及ばない。主はあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたのしんがりとなられるからだ。」と伝える。私たちの歩みの速さは主が決められ、方向は前に行く方が導かれ、後ろを振り返らなくとも守られている。この御方と共に踏み出していこう。