聖 書:Ⅰコリント15:20~26

(20)しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
(21)それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
(22)アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
(23)ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
(24)それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
(25)なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
(26)最後の敵として滅ぼされるのが、死である。

 

罪と死を打ち破って復活された主を崇める。今朝のⅠコリント15章はイエス様の復活の証明、重要性を語る。救いの恵みを伝える福音の中心がイエス様の十字架の死と、復活の命にあるからである。

Ⅰ.イエス様の復活と私たち
イエス様はパリサイ人、律法学者たち敵対者によって十字架に付けられ、死なれた。反対派の勝利のように思われた。3日目によみがえられたイエス様は敗北ではなく、神様の栄光を受けられる。イエス様の復活は神様だからこそ可能だという考え方もあろう。もしそうであるなら、私たち人間との関わりはなくなってしまう。イエス様の復活は私たちの先がけ、目指す目標を表わしている。イエス様の復活は、最初の人アダム以来の、罪によって死すべき人間の希望である。私たちにも死から命への復活の道を開かれている。

Ⅱ.イエス様の復活に続いて
23節以下には、復活の順序が記されている。イエス様は初穂であるので一番最初になる。初穂とはその年の収穫の最初の実りである。これからの豊かな収穫の祝福の約束と保証である。旧約聖書には神様への大切なささげものとされたことが出てくる(出エジプト23:16初出)。次に復活する者は、イエス様が再び来られる日に主を信じ、主に属する者が復活に与る(Ⅰテサロニケ4:13~18)。あらゆることに模範を示されたイエス様はここでも恐れず、従いなさいと招かれている。

Ⅲ.イエス様の復活の勝利
イエス様は私たち一人一人をかえりみ、私たちの人生に最高、最大の影響力を与えられる。また、この世界に対しても責任を負っておられる。世俗の権威、権力は神様にそぐわず、反対であることも多いが、イエス様は悪の力を滅ぼされる。しかし、最も大きな敵は目に見えるものではなく死であるという。秦の始皇帝、アレキサンダー大王、シャルルマーニュ大帝、全て死を迎えて過去の人物になった。… 人間が避けられずに敵として存在するのが死であるという。この後の55~58節には死に対して、復活の命に生きる勝利宣言がある。

神様の永遠の救いのご計画の中で、イエス様は十字架の苦難と死、復活によって罪と死を滅ぼし、勝利された。私たち一人一人に及ぶ救いによって、イエス様にある永遠に至る平安をいただこう。