聖 書:使徒行伝2:14~28
(14)そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人人に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
(15)今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。
(16)そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
(17)『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
(18)その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
(19)また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
(20)主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
(21)そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。
(22)イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。
(23)このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。
(24)神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。
(25)ダビデはイエスについてこう言っている、『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。
(26)それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。
(27)あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。
(28)あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。
先週はペンテコステ(五旬節)の日に聖霊が豊かに降ったこと見た。エルサレムの人々はこの真実を知ろうともしないで、驚き、惑い、嘲笑いもした。12人の弟子たちは立ち上がり、ペテロが代表して大胆に語り出した。ペテロはイエス様の十字架の直前、3度イエス様を知らないと否んだ。この失敗から立ち直れないでいたペテロがついに立ち上がった。聖霊の力は癒し強め励まし、新たな力に満たしてくださる。主に全く明け渡して行く時に、失敗やつまずきさえも新たな光を当て用いてくださる。ペテロは力強くイエス様を指し示した。
Ⅰ.神様の計画によって(22-24節)
イエス様が十字架にかかられたのは、律法学者・パリサイ人たち既成の宗教家たちのねたみ、反感によったのではない。神様の救いの計画に従って、イエス様はこの世に来られ、全人類のあがないとなられた。神様は救いの業を成し遂げられたイエス様をよみがえらされて、永遠の命を表し、神様の栄光を示された。人間の思いではなく、神様の思いが表された。人間の計画ではなく、神様の計画が進められた。人間の知恵では理解できない、神様の知恵によって理解されていく。聖霊によって神様の真理を理解する。
Ⅱ.ダビデの言葉によって
ダビデは聖霊に満たされ、彼の時代から千年後に現れるイエス様を目の前に見ていた。聖霊によって見せられる、何と豊かな霊性であっただろうか。ダビデはイエス様を見ていただけではない。イエス様と共にあった。右にいてとは勝利を表しており、結実を与えてくださる。イエス様を楽しみ、喜び、賛美し、永遠の命の希望に満ちていた。これほど親しい交わりを持つことができたのはダビデの信仰、霊性がどれほど大きかったかが解る。私たちはダビデに届かないが、ダビデが見られなかったイエス様を事実として持っている。私もイエス様と共にあると証しできる私たちであろう。
Ⅲ.ヨエルの預言によって
ヨエルは聖霊降臨の預言を告げた。世の中は制限、資格だらけであるが、聖霊を受けることには何の区別はない。男、女、若者、老人、僕、… 性別、年齢、立場など何も関係はない。若者は幻を見るとあるが、聖霊によって未来が照らされるのである。老人は夢を見るとあるが過去からの蓄積の上の祝福を信じることにある。聖霊は年令に応じて、相応しい神様の恵みに導かれる。ヨエルは聖霊が降ることは、終末につながっていくことを語る。聖霊によって終末の戦いや困難の中で守られ、全き救いへと導かれる。
聖霊が降ることにおいても神様の御計画が貫かれていることを見た。ダビデは聖霊によってイエス様と共に歩んだ。ヨエルの預言は聖霊によって終末の戦いの中でも私たちは守られ永遠へと導かれることを示している。ペテロは聖霊に満たされて即座に立ち上がり、主の働きに立ち続けた。聖霊の力はどんな時にも変わることはない。聖霊に動かされ、神様への愛に生きよう。