聖 書:ヨハネ3:16~17

(16)神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
(17)神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。

11月第一聖日は召天者記念礼拝(日本キリスト教団:聖徒の日、永眠者記念日)を行う。カトリックの伝統では11月1日。古くは万聖節、オールセインツデイから来る。身近な人が天国に帰られると、私たちも天国をより近くに感じる。人生の歩みとは天国に近づくことと思う。今朝は聖書のエッセンスと言われるヨハネ3:16が導かれてきた。

Ⅰ.神様にある愛
神様がひとり子イエス様をこの世に与えた動機は愛である。著者のヨハネは「神は愛である。」(Ⅰヨハネ4:8)、「ここに愛がある。」(同4:10)と神様の愛を強く語った。使徒ヨハネはイエス様の弟子で一番若く、一番長生きをした。兄弟ヤコブと共に「ボアネルゲ・雷の子」と呼ばれた。イエス様に従い、神様に仕える長い生涯の間に砕かれ、造り変えられ、神様のかたちに似せられていく。最晩年は、互いに愛し合いなさいと繰り返し語ったと言われる。人は自分を変えることは難しい。神様は私たちを神様の愛に相応しく造り変えてくださる。

Ⅱ.神様にある救い
神様がひとり子イエス様をこの世に与えた目的は救いである。「世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」(17節)。救いとは何なのか。イエス様はルカ19:10でこう語られる「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。失われたものの話は同じルカ福音書15章に3つ出てくる。迷子になった1匹の羊、失った1枚の銀貨、戻ってきた放蕩息子である。それぞれ本来あるべき場所へと帰ってきた。安全であり、大切にされ、愛される場所である。私たちは神様の元に帰るならば、神様から安全に、大切に、愛されて生きる者となる。「御子を信じる」(16節)ことによってなされる。

Ⅲ.神様にある命
神様がひとり子イエス様をこの世に与えた結実は永遠の命である。「御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(16節)。神様が私たちを裁かれるとすれば私たちは滅びしかない。誰も神様の前に正しい人はいない(ローマ3:10)。私たちを愛される神様は、神様の元に立ち返らせ、永遠の命を与えるためにイエス様をこの世に送って下さった。イエス様は神様の愛を語り、病める者を癒し、弱い者を強め、十字架で御自身をささげ尽くされた。

ここに愛があると聖書は語る。日々力強く、天国の希望を持って歩むことができる。互いに愛し合うことによって神様の愛が、神様ご自身が表されていく。