聖 書:使徒行伝5:26~42

(26)そこで宮守がしらが、下役どもと一緒に出かけて行って、使徒たちを連れてきた。しかし、人々に石で打ち殺されるのを恐れて、手荒なことはせず、
(27)彼らを連れてきて、議会の中に立たせた。すると、大祭司が問うて
(28)言った、「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。
(29)これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。
(30)わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、
(31)そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。
(32)わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。
(33)これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。
(34)ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、
(35)一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。
(36)先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。
(37)そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。
(38)そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。
(39)しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。そこで彼らはその勧告にしたがい、
(40)使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。
(41)使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。
(42)そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。

 

先週は神戸で教団牧師研修会が開かれ、次の時代への過渡期であることを強く感じた。厳しい状況は変わらず、先行き不透明であるが、信仰と祈りによって道は開かれる。同僚の先生方と全力を尽くしていかなければならない。この時のために私たちは立たされている。

Ⅰ.使徒たちの証し
初代エルサレム教会で使徒たちは神様の働きを進め、イエス様の福音を伝えて投獄され(4章)た。読んでいただいた箇所は2回目の投獄である。今回は主の使いが使徒たちを救け出し、彼らは夜明けから主の宮でイエス様を伝え始めた。使徒たちは大祭司やサドカイ人という宗教や社会の指導者たちに脅され、捕えられてもひるまず、熱心にイエス様を伝えた。この時代、正しく命がけのことであった。人は真実の証しのためなら命をかけられる。人は心から恩義を感じているなら命をかけられる。人は他者を愛しているなら命をかけられる。イエス様の福音には真実、恩恵、他者にも分かちたい愛そのものである。使徒たちの真実であり懸命な姿はこのことを証ししている。

Ⅱ.反対者の消極的な証し
28節からの大祭司の言葉に、状況を苦々しく思いながら、逆にイエス様を示すような言葉が見られる。「なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教をはんらん(新改訳2017・協会共同訳:広め)させている。」(28節)とある。エルサレムの街中にイエス様の教えが伝えられていったのである。自分たちがイエス様を殺してしまったことは、痛みであっただろう。29節から32節のペテロたちの弁明に心は刺された。その結果、反対者たちに33節「激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。」という反応を引き起こした。人は自分の非を認めたくない、都合の悪い真実には目をつぶっていたい。反対者たちの怒りは真実を認めたくないという逆説的な、消極的な証しである。

Ⅲ.反対者の積極的な証し
34節からは初代教会と対立しながらも積極的な言葉が残されている。当時のイスラエルでは律法学者にヒレル派とシャンマイ派という2大学派があった。ガマリエルはヒレル派の代表者であった。ヒレル派は保守的なシャンマイ派よりも寛大な傾向があった。ガマリエルは開かれていた人物と伝えられている。パウロはガマリエルの門下生で将来を嘱望されていた。ガマリエルは使徒たちの働きが人間から出たものなら自滅する。神様から出たものであるなら滅ぼすことはできないばかりか、自分たちに災いを招くと戒めた。理性的な言葉と思うが、聖霊が働かれて語らせていると感じる。私たちも時には、思わぬ助けが教会外から起こることがある。

使徒たちは激しい反対に出会いながらも、精一杯働きを進めていった。イエス様を信じる人たちは救われ、多くの人々からは尊敬を受けていた。否定する人たちの心にも神様は働かれていた。私たちの周りは無関心な人たち、反対者たちばかりと考えやすいが、その全ての人たちに神様は働かれている。見えない働きを進めておられる神様に期待して、私たちは今日も働きを進めよう。