聖 書:使徒行伝5:1~25

(1)ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、
(2)共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。
(3)そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。
(4)売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。
(5)アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。
(6)それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。
(7)三時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。
(8)そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。
(9)ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。
(10)すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。
(11)教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。
(12)そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。
(13)ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。
(14)しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。
(15)ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。
(16)またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。
(17)そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、
(18)使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。
(19)ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、
(20)「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。
(21)彼らはこれを聞き、夜明けごろ宮にはいって教えはじめた。一方では、大祭司とその仲間の者とが、集まってきて、議会とイスラエル人の長老一同とを召集し、使徒たちを引き出してこさせるために、人を獄につかわした。
(22)そこで、下役どもが行って見ると、使徒たちが獄にいないので、引き返して報告した、
(23)「獄には、しっかりと錠がかけてあり、戸口には、番人が立っていました。ところが、あけて見たら、中にはだれもいませんでした」。
(24)宮守がしらと祭司長たちとは、この報告を聞いて、これは、いったい、どんな事になるのだろうと、あわて惑っていた。
(25)そこへ、ある人がきて知らせた、「行ってごらんなさい。あなたがたが獄に入れたあの人たちが、宮の庭に立って、民衆を教えています」。

 

9月29日以来の使徒行伝。イエス様の昇天後、ペンテコステに聖霊が降り、エルサレムに初の教会が生まれた。美しの門で足の不自由な人を癒したことでぺテロとヨハネは捕えられる。彼らは釈放され、主の名による辱しめは逆に力となって教会は前進していく。エルサレム教会の信徒の一致は持ち物を共有する形で表されていった。4章末にはバルナバのささげものが出てくる。5章に入ってアナニヤ・サッピラ夫婦のできごとが起こる。

Ⅰ.アナニヤ・サッピラと使徒たち(1-11節)
バルナバが土地を売って代金をささげたのは神様の愛への感謝と献身の思いであった。この後にアナニヤ夫婦も資産を売ってささげた。その際、アナニヤは一部であるのに全部のように見せかけた。ペテロは聖霊をによって真実を教えられ、神様に不真実であったアナニヤを正した。アナニヤはこれを聞いてその場で息絶える。三時間後に妻のサッピラも同じことを言って息絶えた。ここでペテロが言うようにアナニヤ夫婦は自分の物を自由にすることができた。ただ神様に偽り、欺くことが重大な問題点であった。聖霊の裁きというのはここにしかない。バルナバが正の証しであるならば、アナニヤ夫婦は負の証しと言える。教会に神様への畏敬の念が強くされた。神様への崇敬は、敬虔な生活と真心の礼拝につながっていく。

Ⅱ.しるしと奇跡(12-16節)
「多くのしるしと奇跡」(12節) とあり、聖霊の働きは初代教会に著しくなされていった。聖書のしるしは神様を指し示すものであり、奇跡は自然界を越えた神様の力が現される。聖書は奇跡だらけと思われやすいがそうではない。主にモーセの時代、エリヤ・エリシャからの預言者の時代、イエス様の時代に集中している。使徒行伝は聖霊の働きの大きさを、奇跡を通して教えている。ペテロが通る時に彼の影がかかるように病人の寝台を大通りに出したと記されている。比較はできないがイエス様の時にもなかったことである。ヨハネ14:12「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」。最後の説教でイエス様は、十字架後に起こる聖霊の働きを指し示されている。

Ⅲ.妨害と前進(17-25節)
ユダヤの宗教、社会の指導者である大祭司、サドカイ派たちが感情的な妬みから使徒たちを捕えた。使徒たちは主の使いによって獄から救出された。彼らは夜明けから宮で「命の言葉」を語り始めた。ただの脱獄犯なら必死で隠れるだろうが、使徒たちは最も目立つ場所でイエス様による救いを大胆に、力強く語った。使徒たちにとってイエス様の福音を語ることが全てであって、それ以外のものは何もないことが解る。この一事に生きている(ピリピ3:13・14)。

聖霊は潔い霊としてアナニヤ・サッピラ事件を正し、力ある霊としてしるしと奇跡をなし、宣教の霊として使徒たちを強め用いた。私たちも聖霊によって強められ、前進しよう。