聖 書:使徒行伝2:14~21,箴言29:18

(14)そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人人に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
(15)今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。
(16)そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
(17)『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
(18)その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
(19)また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
(20)主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
(21)そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。

箴言29:18

(18)預言がなければ民はわがままにふるまう、しかし律法を守る者はさいわいである。

 

クラーク博士は「少年よ!大志を抱け」(1877年5月)。キング博士は「私には夢がある」(1963年8月28日)と訴えました。聖書は「幻のない民は滅びる」(箴言29:18・欽定訳)と教えています。あなたの夢、幻は何ですか。

Ⅰ 幻・預言は神の意思として言葉で伝えられる。
口語訳は「預言がなければ民はわがままにふるまう」、新改訳は「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」、新共同訳は「幻がなければ民は堕落する」、欽定訳は「Where there is no vision, the people perish」(幻のない民は滅びる)です。神はご自分の意思を幻や預言として語られました。アブラハムやヨセフなどの族長、イザヤやダニエルなどの預言者たちはこの幻・預言を神から聞き、託され、民に伝えのです。その趣旨はイスラエル民族の救い、全人類の救いであって、具体的には「救い主来臨の預言とその成就」です。

Ⅱ 幻・預言は聖霊降臨によって成就した。
聖霊は旧約時代から存在しておられましたが、幻・預言が私たちに実現するためにはキリストの十字架による贖いが必要でした。その後、昇天、即位を経て、聖霊はキリストの霊として降臨されたのです。この時「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る」(ヨエル2:28)という預言が成就したのです。そのことによって、「そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われる」(使徒2:21)という福音が実現したのです。

Ⅲ 幻・預言の拡大はキリスト者に託されている。
キリストは昇天前に「すべての国民を弟子として、バプテスマを施し、教えよ」(マタイ28:19-20)、「すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)、「わたしの小羊を養いなさい」(ヨハネ21:15)という言葉を残されました。これはキリストの遺言であり、宣教命令と呼ばれるものです。要約すれば「伝道と牧会」になります。弟子たちは聖霊に満たされ、主の証人として各地に派遣され、エルサレム教会やアンテオケ教会を生み出しました。パウロはある日一つの幻を見ました。それは「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」(使徒16:9)というマケドニヤ人の叫びでした。この叫びにすぐに従ったパウロの「魂への情熱」によってヨーロッパ宣教が始まりました。
「この福音は、全世界に宣べ伝えられる。そしてそれから最後が来る」(マタイ24:15)。「ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」(Ⅱペテロ3:9)。

「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る」。終末の時代にあって教会は宣教の力を失っています。今こそ神の幻、預言に照準を合わせた教会の幻・預言が求められています。お互い、「霊に燃え、主に仕える」(ローマ12:11)。霊魂への情熱、救霊愛に満たされたキリスト者にさせて頂きましょう。