聖 書:マタイ6:5-13、

(5)また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
(6)あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
(7)また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
(8)だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
(9)だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
(10)御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
(11)わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
(12)わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
(13)わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

ルカ11:1-4

(1)また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
(2)そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
(3)わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
(4)わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。

「主の祈り」は「使徒信条」と共に私たちの信仰生活の根幹をなすものです。前半は神に関わる祈り、後半は人間に関わる祈りです。

Ⅰ 序文・天にいますわれらの父よ=祈りの対象
「天」とは「威光・尊厳・栄誉・光栄・力」などを掌握される方が臨在される至上の天を意味しています。イエスは天にいます神を「アバ父」(マルコ14:
36)と呼びました。私たちは「神の子となる力」(ヨハネ1:12)を与えられました。ヨハネは「わたしたちが神の子と呼ばれるためにはどんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい」(Ⅰヨハネ3:1)と喚起しています。

Ⅱ 本文・「対神関係」(1~3)、「対人関係」(4~6)
1 御名があがめられますように・・=神の栄光
人間は「神の栄光のために創造」(イザヤ43:7)されましたから、人間の本分は「神の栄光」を表すことです。しかし「神を知っていながら、神としてあがめず・・」(ローマ1:21)、傲慢な者となりました。ここに罪の本源があります。
2 御国がきますように・・=御国の実現
イエスは「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ4:17)、「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」(ルカ17:21)と言われました。御国は神の支配の及ぶ世界です。御国はキリストの再臨によって完成しますが、今すでにイエスを信じる者の中に始まっているのです。
3 みこころが天に行われるとおり・・=みこころの確信
「みこころ」とは神の意志、救いのご計画を意味しています。私たちが神の計画を知り、神の意志に従う時に神は私たちに使命感や召命感を与え、導いて下さいます。私たちにとって大切なことは「神への献身」です。
4 わたしたちの日ごとの食物・・=なくてならぬもの
イエスは「人はパンだけで生きるものではなく」(マタイ4:4)、「わたしがいのちパンである」(ヨハネ6:35)と言われました。パンとは肉体と霊性を養う食物を意味しています。イエスはマリヤに「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」(ルカ10:42)と言われました。私たちにとっての唯一無二の糧は何かを問わなくてはなりません。
5 わたしたちに負債のある者・・=ゆるすこと、ゆるされること
イエスは「人々のあやまちをゆるすならば~ゆるして下さる」(マタイ6:14)
と言われました。ここに健全な人間関係の大前提があります。
6 わたしたちを試みに会わせないで・・=悪魔との戦い
イエスはゲッセマネにおいて、眠っていた弟子たちに「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい」(マタイ26:41)と注意されました。悪魔との戦いにおける最大の武器は「御霊による祈り」(エペソ6:18)です。

Ⅲ 結文=頌栄
「国と力と栄えとは、永遠にあなたのものです」。この祈りは後世において付加されたものですが、歴代志上29:11に原型を見ることが出来ます。
「主の祈り」を単に唱和するだけでなく、自分の生活に密着したものとするために、自分の言葉で祈ることを試みて下さい。