聖 書:出エジプト33:12~34:10

(12)モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。
(13)それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。
(14)主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。
(15)モーセは主に言った「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。
(16)わたしとあなたの民とが、あなたの前に恵みを得ることは、何によって知られましょうか。それはあなたがわたしたちと一緒に行かれて、わたしとあなたの民とが、地の面にある諸民と異なるものになるからではありませんか」。
(17)主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。
(18)モーセは言った、「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。
(19)主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。
(20)また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。
(21)そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは岩の上に立ちなさい。
(22)わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。
(23)そしてわたしが手をのけるとき、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は見ないであろう」。

34章
(1)主はモーセに言われた、「あなたは前のような石の板二枚を、切って造りなさい。わたしはあなたが砕いた初めの板にあった言葉を、その板に書くであろう。
(2)あなたは朝までに備えをし、朝のうちにシナイ山に登って、山の頂でわたしの前に立ちなさい。
(3)だれもあなたと共に登ってはならない。また、だれも山の中にいてはならない。また山の前で羊や牛を飼っていてはならない」。
(4)そこでモーセは前のような石の板二枚を、切って造り、朝早く起きて、主が彼に命じられたようにシナイ山に登った。彼はその手に石の板二枚をとった。
(5)ときに主は雲の中にあって下り、彼と共にそこに立って主の名を宣べられた。
(6)主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、
(7)いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。
(8)モーセは急ぎ地に伏して拝し、
(9)そして言った、「ああ主よ、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、かたくなな民ですけれども、どうか主がわたしたちのうちにあって一緒に行ってください。そしてわたしたちの悪と罪とをゆるし、わたしたちをあなたのものとしてください」。
(10)主は言われた、「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしは地のいずこにも、いかなる民のうちにも、いまだ行われたことのない不思議を、あなたのすべての民の前に行うであろう。あなたが共に住む民はみな、主のわざを見るであろう。わたしがあなたのためになそうとすることは、恐るべきものだからである。

I. かたくなな民
エジプトの王の奴隷であったイスラエルはそこから解放され、シナイの荒野に留まっていた。彼らを選んだ主が契約を結ぼうとされたからである。モーセがシナイ山から下りてこないので、民は不安となり、モーセの代わりとなる神を造ってくれとアロンに願った。アロンは金の耳輪から金の子牛の像を造った。主が与えた十戒に背く行為であった。契約の掟に背いたイスラエルに主は憤り、彼らを滅ぼそうとした。モーセが取りなしたので、絶滅は免れたが、契約は破棄された。主は、民と共に約束の地に行くことを拒絶された。むしろ、ひとりの使いをかわりに送ると告げられた。彼らがかたくなな民であり、共に行くならば彼らを最終的には滅ぼすからである。ご自身のことばに聞き従おうとはしないかたくなな民と共に主が進まれることは、元来、不可能である。

Ⅱ. 仲介者モーセ
主と顔を合わせて語ることができる特権を活用し、モーセは主に食い下がり、「主の前の恵みを得ている自分と一緒に行くために主は誰を遣わされるのか」と尋ねた。さらに、イスラエルが主の民であることを強調した。主は、ご自身の心にかなっているモーセの願いに応えて、「わたし自身がモーセと一緒に行く」と約束された。しかし、モーセは、民を含めた「わたしたち」と一緒に行くことを主に求めた。イスラエルが地の諸国民とは異なる存在となるためである。モーセがここまで迫ったので、主はその提案を受け入れた。このように、仲介者なしに主が民と共に歩むことはない。さらに、「わたし自身が一緒に行く」ということばは仲介者モーセに語られたことばである。仲介者と共に神がおられるからこそ、かたくなな私たちと共に神は進まれる。仲介者キリスト抜きの歩みはありえない。

Ⅲ. 主のあわれみと恵み
モーセは主の栄光、主の顔、主ご自身を示していただくこと、主の本性を開示することを求めた。主が敵を暴力によって打ち破るだけの方であったとしたら、かたくなな民と一緒に行くことは不可能だっただろう。しかし、主の本性は怒りとさばきではない。この方は、あわれみと忍耐の神、約束を最後まで守られる神、罪をゆるす神、恵みの神である。罪のゆるしがあるからこそ、かたくなな者と共に神は行くことができる。もちろん、主は正義を行われる方であり、罪をあやふやのままにされない。そして、この方との契約のゆえに、イスラエルは地上での使命を果たす道が開かれた。

主が一緒に行ってくださることは賜物である。私たちは破壊されてもおかしくない、かたくなな者である。しかし、主が仲介者を立て、その仲介者を通してご自身のあわれみと正義を示してくださった。つまり、神の恵みと仲介者キリストのゆえに、かたくなな私たちも神と共に歩むことができ、委ねられた使命を果たすことができるのだ。