聖 書:使徒行伝2:1~13、2:37~47

(1)五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
(2)突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
(3)また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
(4)すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
(5)さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
(6)この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
(7)そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
(8)それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
(9)わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
(10)フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
(11)ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
(12)みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。
(13)しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。

 

(37)人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。
(38)すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
(39)この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。
(40)ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。
(41)そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
(42)そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
(43)みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
(44)信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、
(45)資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。
(46)そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、
(47)神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

わが国における三つの改革について考えてみます。
一つは、「大化の改新」です。これは大化年間(六四五~六五○年)に行われたもので、豪族中心の政治から天皇中心の政治へと改革するものでした。二つは、「明治維新」です。一八六七年(慶応三年)に大政奉還、王政復古が行われ、幕藩政治に終止符を打って、近代国家へと大きく変わって行きました。三つは、「令和革新」です。これは、政治的なものではなく、キリスト教会の改革です。

Ⅰ 聖霊を受ける(1:8)
1 聖霊がくだる時
聖霊降臨日(ペンテコステ)にくだられた聖霊は、旧約時代の聖霊やイエス時代の聖霊とは本質は同じなのですが、その様態が異なります。ペンテコステの聖霊は、父なる神がイエスの業績(血潮の贖い)を認め、栄光を付与された結果、送られたキリストの霊としての聖霊なのです。
2 聖霊のくだる範囲
福音宣教は、まずエルサレムを中心にして,そしてユダヤとサマリヤの全土に、さらに地の果てまで、その輪が広がって行きました。この範囲は非常に大切なことです。
3 聖霊のくだった結果
「わたしの証人となる」、キリストの証人(使徒1:8)、復活の証人(使徒13:31)苦難の証人(Ⅰペテロ5:1)、愛の証人(ヨハネ第三6)。

Ⅱ 聖霊に満たされる  (2:1~13)
1 熱心な待望の祈り
聖霊は弟子たちの熱心な祈りの応答としてくだりました。
2 超自然的な状況の中でくだりました。
3 弟子たちは他国の言葉で語り出しました。

Ⅲ 聖霊の賜物を受ける (2:37~47)
ペテロの再三再四の説教によって、多くの人々は心を刺され、聖霊の賜物が与えられて、悔い改め、救われて、弟子たちの群れに加わりました。そこから新しい共同体が生まれました。それが今日の教会の模範である最初の教会です。
第一は使徒たちの教を守る(聖書)、第二は信徒の交わり(交わり)、第三は共にパンをさく(聖餐)、第四は祈る(礼拝と祈祷)です。
何という素晴らしい情景でしょうか。日本の教会はコロナ災禍によって大きな試練の中にあります。この機に日本の教会は、これまでの宣教姿勢を反省すると共に、宣教の対象である日本人の心をよく理解し、高齢者や障害者など弱い立場にある人々に温かくて寛容な心をもって接していくことが望まれます。