聖 書:Ⅱコリント4:7~12
(7)しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
(8)わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
(9)迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
(10)いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
(11)わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。
(12)こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。
中心聖句:第二コリント4:7 エレミヤ18:1~6
(1)主からエレミヤに臨んだ言葉。
(2)「立って、陶器師の家に下って行きなさい。その所でわたしはあなたにわたしの言葉を聞かせよう」。
(3)わたしは陶器師の家へ下って行った。見ると彼は、ろくろで仕事をしていたが、
(4)粘土で造っていた器が、その人の手の中で仕損じたので、彼は自分の意のままに、それをもってほかの器を造った。
(5)その時、主の言葉がわたしに臨んだ、
(6)「主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。
Ⅰ 土の器
1 神に造られた器
私たちは土のちりで造られ、神の命を吹き入れらて、生きた者となりました。肉体は粗末で弱い者ですが、人間の価値は「神の命」が吹き込まれたことにあります。
2 神に練られる器
陶器は私たちにとって身近な存在です。陶器において一番大切なものは「粘土」です。粘土は陶器師によって練られて生地となります。神は私たちを練って下さり、良い生地を作って、素晴らしい器にして下さるのです。
3 神の手のうちにある器
神は「陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある」と言われました。「神の手のうちにある」とは、神が責任を持って守り支え、導いて下さると言うことです。
Ⅱ ひび割れの器
1 個性的な器
人間にはそれぞれの個性があります。神様が作られた器には、同じものがないのです。それぞれが個性的な存在なのです。
2 訳ありの器
商品には訳あり品がありますが、それなりの良さもあります。私たちも欠点がありますが、プラスに作用することがあります。いわゆる希少価値です。
3 不完全の器
日本文化の一つに「詫び寂び」があります。それは古さ、質素で静かな様子、枯れたもの、いびつで、不完全なものに、一種の趣を感じる感性」と言えます。特に俳句や茶道の精神に見出すことができます。
Ⅲ 器の中の宝
1 砕かれ、練られたキリスト
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、~死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。(ピリピ2:6~8)のです。
2 寄り添われるキリスト
キリストは私たちに寄り添うために、十字架にかかって下さいました。「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである」(ヘブル2:18)
3 神の栄光を現されるキリスト
神は、「キリストと共に死に、キリストと共に生きるキリスト者」を通してご自身の栄光を現されます。「いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである」(4:10)。
パウロは肉体に一つの棘が与えられました。彼はその棘が抜かれるように三度も神に祈りました。神の答えは「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。~わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」」(Ⅱコリント12:7~10)でした。