聖 書:ヨハネ5:34~40

(34)わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
(35)ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。
(36)しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
(37)また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。
(38)また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。
(39)あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(40)しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。

本年は礼拝説教に学びを取り込んでいくという新しい試みを行っている。最初のテーマは「聖書」で聖書の正典性、聖書の霊感という話をしてきた。教団信仰告白「スライド①」(聖書に関する部分を抜粋。)を読む。

Ⅰ.神様による啓示「スライド②」
最初に神様は啓示される御方である。ご自分を表す御方である。何時でも誰でも知れる形で表しておられる(一般啓示)。①自然界を通して。ローマ1:20「天地創造このかた、…明らかに認めら
れる」、詩篇19:1-4「もろもろの天は神の栄光をあらわし、…」Cf.宇宙から地球を見た宇宙飛行士の証言、無神論のガガーリン、神を認めた飛行士も多い。…宇宙から小さな1つの命まで秩
序と細密さに驚く。②歴史を通して。神様は歴史を導いておられる御方である。天地創造から新天新地に至る。預言書を始めとした預言の成就にはその事実がある。③人間を通して。動物は本能
によって生きている。人間には理性、良心がある。神のかたち(創世記1:26)に造られた。永遠を思う思い(伝道の書3:11)が与えられている。

Ⅱ.イエス様による啓示「スライド③」
啓示について先の一般啓示は間接的であるが、聖書とイエス様は直接的である(特殊啓示)。聖書は神様からの全ての人へのメッセージである。どんな時代でも、どんな人にも有効である。聖書を
通して神様の真理を知り、愛を受け止めていくことができる。神様はなおご自身の一人子を送って私たちに神様を表して下さった。聖書が書かれた言葉であれば、イエス様は人格的な言葉、受肉
した言葉である(ヨハネ1:1-14)「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。」。聖書はイエス様を証しし、イエス様は聖書を成就された。復活のイエス様の言葉(ルカ24:44)、「律法と預言書
と詩篇(諸書)」(ユダヤ人のタナハ)はことごとく成就する。聖書は読む御言、イエス様は見える御言、両方を私たちは体験し、体得して行くことができる。

Ⅲ.啓示の目的である救い「スライド④」
今、私たちには聖書と聖書を通して出会うイエス様という明らかな啓示が与えられている。この啓示の目的は何なのか。ヨハネによる福音書は救い主イエス様による救い、永遠の命を一貫して語
っている。ヨハネは締めくくりとして20:30-31、「イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイ
エスは神の子キリストであると信じるためであり、またそう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」と記す。Cf.戦後、北海道の炭鉱町で開拓伝道を始めたアメリカ人宣教師の話。
厳しい労働に明け暮れる抗夫たち …イエス様は私たちと同じ地平に立ち、同じ世界に人として生きて下さった。この御方に聞き、知り、信じ、生きることができる。

聖書は一般的に言っても特別な書物であるが、聖書を通してイエス様を知り、神様の命をいただく。神様は招き続けて下さっている。