聖 書:1ペテロ1:13~21

(13)それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。
(14)従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、
(15)むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
(16)聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
(17)あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。
(18)あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、
(19)きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
(20)キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。
(21)あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。

 

聖書は「肉体の命は血にある」(レビ17:11)と教えています。ロバート・コールマンはその著「キリストの血潮」の中で、「血は聖書のすべてのページに赤い糸のように織り込まれて、贖いという一つの壮大なドラマを描いている」と述べています。

1あがないの必要性
1人類の堕落:アダムとエバは神の言葉に背いてエデンを追放されました。カインとアベルによって人類最初の殺人が行われました。前者は信仰上の罪、後者は殺人罪です。
2神の義の回復:「先祖伝来の空疎な生活」とは、「神の義」を真っ向から拒む罪の生活を意味しています。神は「神の義」を回復するために、メシヤをこの世に送られ、「血による贖い」を預言されました。
3あがないの意味:「あがない」は「本来、私の所有物であったものが、何らかの理由で他人の手に渡った場合、その品物を再び自分の手に買い戻す行為」を意味しています。

2神と悪魔との取引
1贖われた者の価値:私たちは神によって創造され、神の所有物でしたが、悪魔の支配下に置かれました。神は私たちをあがなうために「キリストの尊い血」を支払って下さったのです。
2神の熱意:神は私たちを奪い返すために「キリストの尊い血」を支払って下さいました。
3取引の困難:この取引は安易に行われたのではあません。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」(マタイ26:39)と祈られました。

3取引の価格=キリストの尊い血
1罪のない血:あがないの代価は「しみもない小羊のようなキリストの尊い血」でした。取引に見合う価格が「より義なる、より聖なる、より愛なる」ものでしたら「キリストの尊い血」でなくても良かったのです。しかし悪魔は「完全な義、完全な聖、完全な愛」を要求してきました。それに相応するものは「キリストの尊い血」以外にはなかったのです。
2朽ちない血:贖いの代価は「銀や金のような朽ちる物」ではなく、「朽ちないもの、不朽のもの」でした。それに相応するものは「キリストの尊い血」以外にはなかったのです。
3御子の血(神の血):聖書は「神が御子の血であがない取られた神の教会」(使徒20:28)と記しています。文語訳聖書は「神の己の血をもて買い給いし教会を牧せしめ給う」と訳出しています。「神の己の血」とはキリストの血、御子イエスの血、神ご自身の血を意味しています。

聖書は「兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ」(ヘブル10:19)、「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」
(第一ヨハネ1:7)