聖書:詩篇57:1~11

(1)神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまではあなたの翼の陰をわたしの避け所とします。
(2)わたしはいと高き神に呼ばわります。わたしのためにすべての事をなしとげられる神に呼ばわります。
(3)神は天から送ってわたしを救い、わたしを踏みつける者をはずかしめられます。〔セラすなわち神はそのいつくしみとまこととを送られるのです。
(4)わたしは人の子らをむさぼり食らうししの中に横たわっています。彼らの歯はほこ、また矢、彼らの舌は鋭いつるぎです。
(5)神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。
(6)彼らはわたしの足を捕えようと網を設けました。わたしの魂はうなだれました。彼らはわたしの前に穴を掘りました。しかし彼らはみずからその中に陥ったのです。〔セラ
(7)神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。
(8)わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします。
(9)主よ、わたしはもろもろの民の中であなたに感謝し、もろもろの国の中であなたをほめたたえます。
(10)あなたのいつくしみは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及びます。
(11)神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。

新年のご挨拶。年間52回の説教の重みは変わらないだろうが新年礼拝は最も緊張する。神様が語られる説教、会衆が活かされる説教となることを願う。世界規模の感染症は続いているがその中で、詩篇57篇もよく開かれているのではないか。ダビデがサウル王に追われて逃げる途上での神様への求め、祈りである。

Ⅰ.神様への訴え(1-3節)祈りの第一段階=訴求
ダビデはゴリアテにも勝利した勇者、琴をよく弾く者であってサウル王に取り立てられ、娘婿になったが、サウル王はダビデをねたんだ。命を狙われたダビデは王宮を抜け出し落ち延びる。ダビデは荒野を転々とし、サウルはダビデの噂を聞くと軍勢を率いて無き者にしようとした。ダビデの訴えは「あわれんでください。」(1節)である。あわれみという言葉は私たちには良い響きではない。聖書で「あわれみ」は「慈しみ」と共に用いられることが多く、神様の愛の積極的な表現である。ダビデの切なる思いがここに込められている。神様は私たちの祈りの切実さから、私たちの真実さをご覧になる。

Ⅱ.神様への報告(4-6節)祈りの第二段階=変化
ダビデは「ししの中に横たわって」(4節)いると神様に伝える。ダビデは少年時代に羊飼いとして、ししとくまを殺した(サムエル上17:34-36)。今の状態はししと戦うのではない、ししを前に力無く横たわると言うのである。私たちは実際のししを恐ろしいと思うが、自分の敵は「ほこ、矢」をもって攻める。「舌は鋭いつるぎ」とあり言葉でも人をあやめると言っている。自分を捕らえるために網が設けられ、穴が掘られて待ち構えられていると言う。実際のししやくまと戦うよりも苦しい、厳しい状況であると、ダビデは赤裸々に神様に述べている。神様の前にありのままを打ち明けることは、自分の状態を冷静に見つめ、頼るべき方に目を転じていくための段階となる。神様に目を向けるならば私たちの内側に信仰が働いていく。

Ⅲ.神様への感謝(7-11節)祈りの第三段階=確信
私たちは率直に神様に訴える、ありのままを伝えることによって、神様に目が向けられる。神様への信仰が強められていく。現状は如何に厳しくあったとしても神様はそこから御業を表していかれる。この信仰に立つ時に「心は定まりました」(7節)と告白することができる。神様への賛美が生まれる「歌い、ほめたたえ」。夜明けの「しののめ」を迎えることができる。神様の御業、神様の愛は天にまで及び、雲にまで達する。「神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。」(11節)という宇宙大と言える信仰につながっていく。私たちの神様は永遠なる存在であり、統べ治められる御方である。

ダビデを殺そうとしたサウルが破れ、ヘブロンから王として迎えられ、王国が安定してくためになお時間はかかる。神様が一つ一つを成し遂げられていく様を見ることができる。私たちが頼るべき御方に全幅の信頼を寄せることができるように、今年も神様を仰いで信仰を強めていただこう。