聖書:コロサイ3章12~17節
(12)だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。
(13)互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。
(14)これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。
(15)キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
(16)キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
(17)そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。
荻窪栄光教会の美点に新年聖会の開催が挙げられる。教会で聖会がないきよめ派の教会も多い。各聖会も出席者は減少気味である。きよめ派にあって現状をどう捉え、対応するか問われている。1)教会がこの世に合わせて世俗化していないか。低きに流れるのは人の常である。2)きよめのメッセージを伝える努力をしてきたのか。過去の聖徒たちの言葉を今に伝える言葉が必要。3)きよめの証しがなされているのか。あの人のようにと願う姿を持ち得ているのか。課題は多いがきよめは神様が導かれる恵みであり、生きて働くものである。これからの時代にこそさらに必要である。
Ⅰ.真実をゆがめるもの
小島伊助師のコロサイ書講解にバックストン師最後の来日(1937年)で「きよめの良い参考書は」との問いに、「パウロの小書簡をよく読むように」との答えが記されている。よってこの手紙全体から見ていきたい。コロサイは小アジアの内陸部フルギヤ地方、ラオデキヤ、ヒエラポリスに近い。使徒時代の他教会同様に異端が入り込もうとしていた。「むなしいだましごとの哲学」(2:8)知識を求める理性至上主義、「食物と飲み物…祭や新月や安息日など」(2:16)形を求めるユダヤ人による律法主義、「天使礼拝」(2:18)礼拝の対象ではない天使を崇める神秘主義等が挙げられている。今の時代にも異端は多種多様に働き、私たちを神様の真理から引き離そうとする(ガラテヤ5:7-9)。
Ⅱ.真実に導かれていく
正しい教えに立つために、1章で「福音」が強調されている。福音は真理の言葉(1:5)、実を結んで成長し(1:6)、主の働き人から学び(1:7エパフラス)、望みを持たせ(1:23)、全ての人に伝えられる(1:23)。「福音」は字義通り良い知らせだが、旧約聖書では敵に勝利した告知(イザヤ40:9、52:7)であった。新約聖書では罪と死と悪の力に、イエス様は十字架によって勝利された。この福音によって私たちは救われ信仰に生きる(ローマ1:16・17)。福音は義認、新生、赦罪、和解、嗣子、永遠の命という救いの実をもたらす。例え、救いがここまでであっても十分だろう。しかし、この手紙の頂点は奥義である内住のキリストである(1:27)。至高、永遠、完全、…このイエス様を内に頂くのは、全てを超越したことである。「キリスト、わが内にありて生きたもうなりが、きよめなのだ。」(竹田俊造師)。
Ⅲ.真実を内にいただく
救いを頂き、さらにきよめへの導きとは。「わたしたちは、キリストの血によってすべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、…」(教団信仰告白)。義とされ救われた者がきよさを真実に祈り求めるなら、聖い神様の霊が圧倒的に臨んで下さる(ローマ8:9-11)。聖霊の支配、満たしを受ける。水ではなく火によるバプテスマであり、聖霊が汚れを焼ききよめられる(レビ6:12-13)。きよめは聖霊とイエス様の不可分の共働の働きである。この手紙はきよめをイエス様の働きの面から記している。
今朝の箇所はこの手紙の結論、私たちが持つきよめの実際の実である。