聖書:ローマ12章3~18節

(3)わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。
(4)なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、
(5)わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。
(6)このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、
(7)奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、
(8)勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。
(9)愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、
(10)兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。
(11)熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、
(12)望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。
(13)貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。
(14)あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。
(15)喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
(16)互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。
(17)だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
(18)あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。

2月予算総会を終え、コロナ禍は続いているが、新年度に向かって良い準備を進めていきたい。繰り返し言うがローマ人への手紙の構造は魚の3枚おろしである。第一部:1-8章「完全な救い」片身、第二部:9-11章「イスラエルの救い」中骨、第三部:12-16章「救われた者の歩み」片身になる。

Ⅰ.救われた者の歩みの理念(3-5節)
12章からは救われた者の実践について語り始める。1・2節は余りに有名であり、救われた者の生活の基本理念、憲章である。大前提の次に、3節から生活の実践が述べられていく。教会はキリストの体である(エペソ1:23)。私たちが教会につながることは教会の頭であるイエス様につながることである。さらにここではキリストの肢体(新改訳2017:器官、協会共同訳:部分)と言われ、私たちが体の各器官として働きを担っている。体は各器官の協調、協働によって成り立っている。思いあがらず、慎み深くとあるように教会には互いを思いやる心が根本にあり、キリストの命による生命的なつながりがある。一人一人が必要であり、一人一人の働きによって成り立っている。

Ⅱ.救われた者への恵みの賜物(6-8節)
体の器官が違っているように賜物は異なっている(6節)。賜物(カリスマ)は恵み(カリス)から来ている言葉である。ここには代表的な賜物が記されている(Ⅰコリント12章参照)。預言は今日では説教で語られている、奉仕は教会の全ての働きを支えている、教えは教会の土台を形づくって行く、勧めは人を励まし強めることのできる言葉、寄附は財のある人が果たせる特別な働き、指導は正しく人を導く訓育、慈善は愛と慈しみを持った人によってなされていく。教会の働きはこの7項目が全てではないが、これらが基礎になって発展していく。賜物は恵みとして全ての信仰者に与えられている。賜物に優劣は無く人と比較することはない。賜物を土に埋もれさせてはいけない。私たちへの神様の最大の賜物はイエス様(ヨハネ3:16)である。私たちは最高のものを受けた者としてお返ししていく者である。

Ⅲ.救われた者の歩みの動力(9-18節)
救われた者の実際の力となるものが列挙されている。愛は偽らないものである。打算や外見だけのものではない本質からのものが問われる。兄弟の愛を持ち、いつくしみと尊敬を持つものである。霊に燃え、主に仕えるとは人間には限りがあるからこそ聖霊の力が必要とされる。希望、忍耐、祈りは私たちの不変の力となる。貧しい者を助け旅人をかえりみることは、弱い人への視点である。迫害者に対しても祝福ならば全ての人への祝福。喜び涙を共にするように心を人に向ける。高ぶった思いを持たず人から学ぶ。悪から離れ善を求めて行く平和を求めて行く

救われた者の歩み、実践について見てきた。道徳、倫理は分っているができないものである。神様が私たちを愛し、イエス様を送られた。神の愛が注がれているから他者を愛する者になれる。神様に仕え人に仕える者となれる。