聖書:出エジプト33:12~17

33:12モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。
33:13それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。
33:14主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。
33:15モーセは主に言った「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。
33:16わたしとあなたの民とが、あなたの前に恵みを得ることは、何によって知られましょうか。それはあなたがわたしたちと一緒に行かれて、わたしとあなたの民とが、地の面にある諸民と異なるものになるからではありませんか」。
33:17主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。

先日ある方から、「先生、私たちの教団の聖句は『わたし自身が一緒に行く』 と、もう一つは『この奥義はあなたがたのうちににいますキリストであり、栄 光の望みである』でしたよね。」と尋ねられました。その言葉を聞いて私は「信 仰の継承」とはこういうものなんだ、ということを深く知らされました。
最初に「わたし自身が一緒に行く」を取り上げます。

Ⅰ 神の約束の宣言
1 宣言の主体 ①「わたし自身」(口語訳)、「わたしが自ら」(新共同訳)、
②「我親(みずから)」(文語訳)、正式に訓読みで「みずから」と読みます。「親書」という言葉があります。「親書とは、国家元首や政府首脳が相手国の元首や 首脳に出す文書」のことを指しています。③「わたしの臨在」(新改訳2017)
「臨在」という言葉は聖書にはありません。しかし「主が臨まれた」とか「聖 霊が臨み」という言葉は随所に出てきます。④「Presence」(欽定訳)とは、「存 在する」という意味です。⑤「わたしの顔」(ヘブル語原語)原語は「パーナ ー」であって、主たる意味は「顔」です。「顔」はその人のシンボルです。
2 一緒に行く=創造主なる神がいつも「わたし自身が一緒に行く」と約束して下さっています。何という光栄、感謝なことでありましょうか。
3 安息を与える=主イエスは「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるような ものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネ14: 27)と約束されました。

Ⅱ モーセの執拗な誓願
1 モーセは弱さを知っていました。=モーセは主が同行して下さるだけで満足するのではなく、「あなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをこ こからのぼらせないでください」と訴えています。
2 モーセは神の恵みを願いました。
3 モーセは真の信仰者の姿を求めました。

Ⅲ われらの穏健な聖潔
1 主の臨在、内住のキリスト
主はモーセと共に歩まれモーセは主と共に歩みました。この状態こそが、ま さしく「潔められた」姿であり私たちの手本のような信仰の姿でもあります。
2 自我の磔殺
新生において犯した罪が赦されます。聖潔において内在する罪が赦されるの です。この内在する罪の元凶は他ならぬ「自我」なのです。
3 聖霊による歩み
私たちは自分の努力では到底きよくなることはできません。そこで必要なこ とは、聖霊の助けと導きであります。そこで必要なことは、「祈り、瞑想」なの です。私たちが継承すべき信仰は、「臨在信仰、十字架信仰、聖霊信仰」である とまとめることができます。
新しい時代が到来しています。教会も大きく変わって行くことでしょう。し かし、変わらないもの、変えてはならないも、継承すべきものはしかりと継承 していかなくてはなりません。