聖書各巻緒論(24)
聖書:エレミヤ1:1~12

1:1 ベニヤミンの地、アナトテにいた祭司の一人、ヒルキヤの子エレミヤのことば。
1:2 このエレミヤに主のことばがあった。ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことである。
1:3 それはさらに、ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの時代にもあり、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚まで続いた。
1:4 次のような主のことばが私にあった。
1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
1:6 私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」
1:7 主は私に言われた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。
1:8 彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」
1:9 そのとき主は御手を伸ばし、私の口に触れられた。主は私に言われた。「見よ、わたしは、わたしのことばをあなたの口に与えた。
1:10 見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」
1:11 主のことばが私にあった。「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」
1:12 すると主は私に言われた。「あなたの見たとおりだ。わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。」

先週のイザヤ書から預言書に入り、今日は2番目のエレミヤ書である。エレミヤもイザヤ同様、南王国ユダにあってエルサレムで活動した。エレミヤはイザヤより120年ほど後の時代となる。

Ⅰ.エレミヤの時代の背景
時代背景は異なるがイザヤとエレミヤには大きな違いがある。イザヤは南王国ユダの滅亡を予め預言し、エレミヤはユダの滅亡の現場を経験した。イザヤは神様の警告を語っても受け入れられていたが、エレミヤが神様の審判を語ると迫害を受けた。イザヤは冷静に語っているように見えるが、エレミヤは涙に暮れながら語った(9:1)。亡国のユダへの涙はイエス様がエルサレムを前に流された涙につながる(ルカ19:41~44)。エレミヤは50年以上、ヨシヤ、シャルム(エホアハズ)、エホヤキム、エコンヤ(エホヤキン)、ゼデキヤの時代に神様に仕えた。ヨシヤ王はダビデ王家でも特別に神様に従った(列王第二23:25)。ヨシヤの死は悲劇的であり、彼さえもユダの滅亡を食い止められなかった。他の王たちは神様から離れることの愚かさ、悲惨を私たちに教えている。

Ⅱ.エレミヤの預言の内容
南王国ユダの不信仰、偶像礼拝、反逆に対して、エレミヤは論争、警告、涙をもって語る。王を始め、人々は受け入れず、エレミヤが間違いであると断じられ、捕らえられた。ユダは戦わずカルデヤ人に降伏し、捕虜となりバビロンに連れられることを示された。神様の御心は徹底的に敗れなければ、ユダヤの民は悔い改めないことを知っておられた。そこで、神様の深い愛を知り、「残りの者」(23:3)は回復の恵みに与る。エレミヤの預言は目の前の裁きだけではなかった。
1)メシア預言、23:4~6「主は私たちの義」。エレミヤの時代は偽り、悪がはびこっていたが、救い主は義をもたらせられる。
2)回復の約束、31:3「愛」のゆえである。31:8~9「連れ戻る」神様が率いられる。31:10「牧者が群れを飼うように」神様が守られる。31:31~33「新しい契約」となる。

Ⅲ.エレミヤを支えた召命
激動の時代にエレミヤは神様に仕え、厳しい裁きを語った。どれ程、厳しい道であったかと思う。エレミヤを支えたものは何だったのか。神様の召しという確かな事実である。エレミヤを生まれ出る前から備えられたのは神様である(1:1~5)。エレミヤを選ばれたのは知識や経験では無い(1:6~8)。神様が直接に手を伸ばされた業は、聖とすることであった(1:9、イザヤ6:6~7)。神様が触れられたのは口であったことに深い意味がある。言葉が聖くあること(ヤコブ3:6~11参照)は、神様への賛美、人を励まし強めるために用いられる。神様の働き人、仕える者は言葉に仕える者である。聖とされたエレミヤに神様はメッセージを託され、神様の権威を授けられた(1:9・10)。ユダヤで1・2月に最も早く花を咲かせるアーモンドの幻をエレミヤは見た。これから始まることの序章であった。エレミヤの出発点はここにあり、この経験が彼を常に支え続けた。

私たちがこの時代に生かされていることは神様の思いと計画の中にある。