聖書各巻緒論(23)
聖書:イザヤ43:1~7

43:1 だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。
43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
43:3 わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。
43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東からあなたの子孫を来させ、西からあなたを集める。
43:6 北に向かっては『引き渡せ』と言い、南に向かっては『引き止めるな』と言う。わたしの息子たちを遠くから来させ、娘たちを地の果てから来させよ。
43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。

先週は教会総会において2022年度の活動計画・予算が定められ感謝。コロナ禍は3年目を迎え、ウクライナでは侵略戦争が起きているが、主への祈りと願いを持って進もう。

Ⅰ.預言書の確かさ(預言書全体から)
聖書を1巻ずつ開いてきたがイザヤ書からは預言書(ネビイーム)になる。書巻の長さからイザヤ、エレミヤ、哀歌、エゼキエル、ダニエルの各書は大預言書、以降は12小預言書と呼ばれる。預言書は預言者によって記されている。最初に預言者とあるのはアブラハム(創世記20:7)であり、モーセも預言者(申命記34:10「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。」)である。神の人、指導者は神の言葉を預かり語った。預言者として認められやすいのはエリヤ、エリシャからであろうが、彼らは預言書を記していない。イザヤ始め、預言書を残した預言者は記述預言者と呼ばれる。預言が語られるのは神の民の危機に際してである。神の民の不信仰、堕落、反逆に対し警告を行い、神に立ち帰るようにと呼びかけられる。預言者が最も多く活動したのが分裂王国時代になる。信仰的、民族的な危機の時代である。預言は警告と共にやがて成される予言でもある。特に大切な預言はメシア預言であり、終末の預言である。神の言葉は既に成し遂げられ、これからも成就する。

Ⅱ.イザヤ書の確かさ(イザヤ書全体から)
預言書の最初はイザヤ書である。国連ビルの礎石にはイザヤ2:4「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」が刻まれている。イザヤ書は小聖書と呼ばれ、広く、豊かな内容が含まれている。66章は前半39章に審判のメッセージが語られ、義なる神が表わされている。後半40章以下には回復のメッセージが語られ、贖いと栄光の主が表わされている。旧約、新約の聖書の構成を表しているかのようである。イザヤは南王国ユダのウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの4代の時代に神様に仕えた。イザヤ書は統一性が問われてきたが60年に亘る話であり、初期と後期で文体も思想も違って当然である。何よりも確かな証拠は、イザヤ書は直接に新約聖書に49か所引用されている。神様のメッセージが時を越えて一筋に伝えられている。

Ⅲ.神様の愛の確かさ(イザヤ43:1~7から)
預言書の預言はイスラエルの民への呼びかけであるが、私たちへの呼びかけでもある。人を創造された神様は、イスラエル民族を興し、私たち一人一人を創ってくださった(1節)。人が生まれるのは決して偶然ではなく、神様の愛の対象として、私たちを高価で尊い(4節)ものと造られた。それは、贖い取られるほどの愛である(ローマ3:24参照)。どんな災いが、危険があったとしても守られている(2節)。私はあなたとともにいると神様は約束されている(2,5節)。

この世界に確かなものはどれ程あるだろうか。私たちは確かな愛と守りを神様に見出し、聖書に見出すことが出来るのは何と幸いであろう。