聖書:箴言1:1~10

1:1 イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言。
1:2 これは、知恵と訓戒を知り、悟りのことばを理解するため、
1:3 義とさばきと公正において、訓戒を受けて、さとくなるため、
1:4 浅はかな者を賢くし、若い者に知識と思慮を得させるためのもの。
1:5 知恵のある者は聞いて洞察を深め、分別のある者は導きを得る。
1:6 こうして、箴言と比喩、知恵のある者のことばと謎を理解する。
1:7 主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。
1:8 わが子よ、父の訓戒に聞き従え。母の教えを捨ててはならない。
1:9 それらは、あなたの頭に戴く麗しい花の冠、首にかける飾りだから。
1:10 わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、それに応じてはならない。

本日は5月第二週、母の日を迎えた。荻窪栄光教会CSでは父母の日になる。先日ニュース番組でアメリカの教会由来であることを伝えているのを見、事実を知っていただければ感謝と思った。

Ⅰ.民族への知恵の言葉
箴言が開かれてきた。1節「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言。」とある。父であるダビデは多才であったが戦士として戦いの一生であった。北はユーフラテス川から南はエジプト国境までイスラエル史上最大の範囲を王国とした。その子ソロモンはダビデによって築かれた統一王国の王として平和と繁栄の時代に生きる(列王第一4:21)。ソロモンは夢で神様から願い事を尋ねられ、(列王第一3:9)「善悪を判断して…聞き分ける心」を求めた。神様はこの答えを喜ばれ、知恵と判断、富と誉れ、長寿を与えられた。ソロモンは箴言を3千残した(列王第一4:32)。一国の王が英明で、公正と正義を求めるならば、その誉は遠くまで聞こえ、元にある民族は豊かな恩恵に与る。3千年を経て、その逆の例を今日見る思いがする。

Ⅱ.家庭での知恵の言葉
ソロモンの知恵は国全体に及んだ。教育の第一歩、基礎となるのは家庭にある。7節「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」は箴言の主題になる。子どもたちに物心が付く前に両親はこのことを意識していなければならない。様々な知識が入り込む前に神様への正しい思いへと導くことが語られている。8節「わが子よ、父の訓戒に聞き従え。母の教えを捨ててはならない。」とあるが、父親と母親の家庭教育の役割の違いが表れている。父親の方が知的・理性的な部分と厳しさ、母親の方が感性的な部分と優しさを見て取れる。どちらかではなく両方が必要とされ、相乗的に働いていく。旧約聖書に描かれたイスラエルの家庭教育は、彼らが故国を失い流浪の民として生きざるを得なくなる中で、民族的なアイデンティティを今日まで守ることになる。

Ⅲ.全ての人への知恵の言葉
私たちがどのような家庭環境で育ったかはそれぞれに違う。子として、親として理想形はあるだろうが、それで大丈夫ということでもない。私は両親が信仰者で、幼時から教会学校で育ったが、両親にも周囲にも随分心配をかけ、皆様に祈っていただいて今日ある。人間として欠けを持ちながら親として子育てをし、子として親に接している。家庭環境がどうあったとしても、私たち自身の欠けや弱さを超えるものを神様は示されている。私たちはイエス様の十字架のあがないによって神の子とされた(ガラテヤ4:3~7)。神様をアバ、父よと親しく求め、語りかけることができる。神様が御父様、私たちは子どもであり、この縦の関係がしっかりするなら、私たちは地上の親子の関係を正しく持つことができる。神様の言葉を知恵の言葉として受け止め、親として、子として神様の知恵を生かして用いることができる。

神様が与えてくださった家族を受け止め、愛し、共に主の御前に歩めるように祈り、労して行こう。