召天者合同記念礼拝

ピリピ3:17~21
3:17 兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
3:18 というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
3:19 その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
3:20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
3:21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

召天者合同記念礼拝にご参集くださり感謝。ここに集う私たちの内に人は死では終わらないという共通の思いがある。国民性で多少違いがあり、個人の考え方には幅がある。しかし、私たちは人が霊・魂を持つ存在であって、死で失われないと受け止めている。

Ⅰ.私たちは地上を歩む
この聖書箇所には地上と天という言葉が出てくる。私たちは地上に生き、日々の些細なことにも楽しみ、喜びを見出される。しかし、ここで地上とつながる言葉は「滅び」「欲望」「恥ずべきもの」である。12月には世界中を巻き込んでいるコロナウイルス感染の始まりから3年になる。疫病が中世の時代のものではないことを痛感する。戦争も過去のものではなく、殺戮や破壊が行われるむごたらしさを見せられている。地上には良いもの、美しいものはあるが、悪しきもの汚れたもので直ぐに踏みにじられてしまう。

Ⅱ.私たちに天上を指し示す
辛いことや苦しいことがあるこの地上に私たちは生きている。ここで天上とつながっている言葉は「栄光に輝く」である。天の御国は栄光の輝きに満ちている。黙示録21章には永遠の都が記され、そこに神様の聖なる臨在がある(黙示録21:3)。宝石等にたとえられる(黙示録21:18~21、純金、エメラルド、真珠他)。涙、死、悲しみ、叫び声、苦しみはない(黙示録21:4)とある。先ほど読まれた聖書箇所には、私たちの国籍は地上ではなく天にある(ピリピ3:20)と言う。また、私たちをこの地上の寄留者、旅人であり、天の故郷を目指すと言う(へブル11:13~16)。私たちは地上の世界しか知らないが、神様は完全で永遠である世界を用意されている。

Ⅲ.私たちを天上に迎える
天の御国に至る道はどこにあるのか。イエス・キリストが鍵の言葉になる。この方が救い主であり、私たちをも天の御国に入るものとしての姿へと変えてくださる。天の御国に迎えられない人は「キリストの十字架の敵」(ピリピ3:18)である。敵の反対語は味方であるので、キリストの十字架の味方であれば天の御国に入ることができる。それはキリストの十字架を受け入れ、信じるということである。滅びに向かわせる罪や欲、恥ずべきものを取り去り、私たちを神様に相応しく整える力がキリストの十字架にある。

キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14:6)と言われた。天の御国に導く道、真理、命を、先に召された方たちは持たれた。私たちも自分のものとしよう。