聖餐月間礼拝
聖書:ミカ書7:16~20聖書各巻緒論33・預言書11

7:16 諸国の民は見て、自分たちのすべての力を恥じ、手を口に当て、彼らの耳は聞こえなくなります。
7:17 彼らは、蛇のように、地を這うもののように土をなめ、震えながら自分たちの洞穴から出て来ます。そして、私たちの神、主のみもとで、おじ惑い、あなたを恐れます。
7:18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。
7:19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。
7:20 昔、私たちの父祖たちに誓われたように、ヤコブにまことを、アブラハムに恵みをお与えください。

聖書各巻を開いてきており預言書が続く。先週はヨナ書を語ったが、続いてミカ書を開く。ヨナ書はヨナの行いや思いが表わされ信仰について考えさせられ、預言書の中では特別である。ミカ書は通常の預言書の形で記されている。

Ⅰ.ミカ書の概要
ミカが活動した時代はユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世である(1:1)。イザヤ、ホセアと重なる時期に、南王国ユダにあって主に仕えていた。
ミカは南王国ユダ、北王国イスラエルに神様の使信を伝えた。その指針は罪を指摘し、神様が下される裁きであった。裁きの結果として「サマリアを野にある瓦礫の山とし」(1:6)とあり北王国の滅亡、「エルサレムは瓦礫の山となり」(3:12)とあり南王国の滅亡も語られる。しかし、懲らしめだけではなく、神様の祝福や希望が約束され、捕囚後の回復も終末の栄光も語られている。
最も大きな約束はメシア・救い主の預言である(5章)。「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。」(5:2)は東方の博士たちがユダヤの王はどこにお生まれかと尋ね、学者たちが答えた箇所である。4・5章は神様の救いと回復が記されている。

Ⅱ.ミカ書の救い
ミカ書での救いは特に7:7から7:20にある。7:7は「しかし」から始まる。イスラエルの民は不信仰によって社会も、個人も腐敗し、神様は裁かざるを得なかった。この「しかし」は、それでも主を仰ぎ、待ち望む信仰が表わされている。7:8「主が私の光だ。」7:9「私は、その義を見る。」との希望が語られる。7:10「敵は道の泥のように踏みつけられる。」と神様の怒りはご自分を侮る敵に向けられる。7:11から7:13はイスラエルの再建、繁栄が語られ、国土が回復される。7:14「どうか、あなたの杖で、あなたの民を、あなたのゆずりの群れを牧してください。」神様は全イスラエルの牧者である。牧者は詩篇にも繰り返される。詩篇23:1「主は私の羊飼い」、詩篇95:7「私たちはその牧場の民その御手の羊。」等。預言書にもイザヤ40:11「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」(エレミヤ31:10、エゼキエル34:14他、参照)と出てくる。神様は良い羊飼いとして自らの民を愛し、導き、守り、養われる。このように救いと回復が描かれている。

Ⅲ.ミカ書から全世界へ
最後の7:16からはイスラエルの民に敵対した国々は恐れ、恥じる結果になり、神様の偉大さ、恵み深さが明らかにされる。神様の慈しみは、先に良い羊飼いであることに表わされていることを見た。今、私たちに現わされているイエス様はご自分が良い羊飼いであると宣言された。ご自分の命を十字架で捨ててくださり、その贖いによって私たちは神様の元に移された。この救いが全世界に明らかにされている。

ミカ書は背信のイスラエルの民への裁きと回復が記されている。私たちの裁かれるべき罪・咎は、イエス様の十字架の救いによって赦され、神様との交わりは回復されている。