聖 書:申命記11:8~21

11:8 あなたがたは、私が今日あなたに命じるすべての命令を守りなさい。それは、あなたがたが強くなり、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地を所有するため、
11:9 また、主があなたがたの父祖たちに誓って、彼らとその子孫に与えると言われたその土地、すなわち、乳と蜜の流れる地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。
11:10 なぜなら、あなたが入って行って所有しようとしている地は、あなたがたが出て来たエジプトの地のようではないからである。エジプトであなたは、野菜畑でするように、自分で種を蒔き、自分の力で水をやっていた。
11:11 しかし、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天からの雨で潤っている。
11:12 そこは、あなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。
11:13 もしわたしが今日あなたがたに命じる命令、すなわち、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くして仕えよという命令に、あなたがたが確かに聞き従うなら、
11:14 わたしは時にかなって、あなたがたの地に雨、初めの雨と後の雨をもたらす。あなたは穀物と新しいぶどう酒と油を集めることができる。
11:15 また、わたしはあなたの家畜のため野に草を与える。あなたは食べて満ち足りる。
11:16 気をつけなさい。あなたがたの心が惑わされ横道に外れて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。
11:17 そうでないと、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざし、雨は降らず、地はその産物を出さなくなる。こうしてあなたがたは、主が与えようとしているその良い地から、たちまち滅び去ることになる。
11:18 あなたがたは、わたしのこのことばを心とたましいに刻み、それをしるしとして手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
11:19 それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
11:20 これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。
11:21 それは、主があなたがたの父祖たちに与えると誓った地で、あなたがたの日数とあなたがたの子孫の日数が、天が地の上にある日数のように多くなるためである。

 

2023年は元日が聖日で新年礼拝でもある。昨年も不正、逸脱、凶悪事件…人心の乱れにも終末を感じる。日本人は元旦に身を正す思いを持つ。年の始めに神様の前に身を正すことを願い、箴言を語ってきた。本年は律法の書、最後の申命記が開かれてきた。出エジプトの時代、神様はモーセを通して語られたが、申命記はモーセの最後の説教となる。

Ⅰ.本年も神様の使信を覚える
申命記は律法の締めくくり、神様が神の民に求められた使信の要約であり、旧約聖書中、重要な書物である。イエス様は旧約聖書の律法で、第一の戒めは全力で神様を愛すること、第二の戒めは自分のように隣人を愛すること(マルコ12:29~31他)と、繰り返し語られた。第一の神様を愛することは申命記6:4~5からの引用であり、第二の隣人を愛することはレビ記19:18からの引用になる。隣人を愛することは申命記にも思想として流れている。ユダヤ人の家庭教育で朝夕唱えられる「シェマー」は申命記6:4~9、11:13~21、民数記15:37~41である。聖書全体の強調点がここにある。

Ⅱ.本年も神様の語りかけを聞く
今朝の聖書箇所は「あなたがたは、私が今日あなたに命じるすべての命令を守りなさい。」(8節)から始まる。「今日~しなさい」という語法は申命記中61回に及ぶ。新約聖書に照らすなら、へブル3:7~8「ですから、聖霊が言われるとおりです。『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。』」、
3:13「『今日』と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。」になる。神様からの個人的な語りかけを聞いたならば、明日でも、明後日でもなく今日、今すぐに良い意思を実行するように神様は願われている。

Ⅲ.本年も神様の祝福をいただく
神様からの使信は「もしわたしが今日あなたがたに命じる命令、すなわち、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くして仕えよという命令」(13節)である。全力で主を愛するということが語られる。他の神々や、主に代わる他のものが、神様と私たちの間に入り込む隙間はない。このようにモーセの最後に神様は語られ、次の指導者ヨシュアは最後に、主に仕えるか他の神々に仕えるか明らかにせよと民に語った。すぐ後の士師記が記すようにイスラエルの民は早々と他の神々を持ち込んだ。真の神様に仕えていくためには、主の言葉を心と魂に刻む(18節)、手に結び付け額に記しを付ける(18節)、子どもたちに教える(19節)、家の門口に書き記す(20節)。これは日々、全ての時間に神様を覚え、神様から離れないことである。イエス様はインマヌエルの神(マタイ1:23)としてお出でくださった。私たちが神様から離れようとしても、神様が私たちと共におられる。

私たちが神様と共にあり、日々の歩みの祝福は、神様の約束の地にある祝福である。「そこは、あなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。」(12節)