聖書:ナホム書1:1~11聖書各巻緒論34・預言書12

1:1 ニネベについての宣告。エルコシュ人ナホムの幻の記録。
1:2 主はねたんで復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。
1:3 主は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。主は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。
1:4 主は海を叱って干上がらせ、すべての川を涸らされる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花もしおれる。
1:5 山々は主の前に揺れ動き、もろもろの丘は溶け去る。地は御前でくつがえる。世界とその中に住むすべてのものも。
1:6 主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。
1:7 主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。
1:8 しかし、押し流す大水でその場所を滅ぼし尽くし、敵どもを闇に追いやられる。
1:9 おまえたちは主に対して何を企むのか。主は滅ぼし尽くす方。敵対する者は二度と立ち上がれない。
1:10 彼らは、絡みついた茨。大酒飲みの酔っぱらいのようだ。乾ききった刈り株のように焼き尽くされる。
1:11 おまえたちの中から、主に対して悪を謀り、よこしまなことを企てる者が出た。

 

2023年の第2回の礼拝。聖書各巻の緒論を語る。旧約聖書の最後の区分12小預言書の7巻目ナホム書であり、3月末までに旧約聖書を終えて、4月から新約聖書に入る予定でいる。

Ⅰ.アッシリアへの復讐:旧約聖書では
ナホム書は短い3章の預言書であるが、主題は1:1~2に表わされている「ニネベについての宣告。エルコシュ人ナホムの幻の記録。主はねたんで復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。」。アッシリアの首都ニネベの滅びについて記されている。ニネベはヨナの宣教によって悔い改めが起った(ヨナ3:5)。ナホム書はその100年後と言われるが、ヨナが伝えた信仰は失われていた。ニネベには流血、強盗、戦争、乱行が満ちていた(3:1~4)。神様は立ち返らず、イスラエルを苦しめたニネベを裁かれた。アッシリアは新バビロニア帝国とメディア帝国によって滅ぼされる。ニネベは紀元前612年に滅亡するが、これは2章に預言されている。神様は残虐非道を放任されてはいない。

Ⅱ.敵への復讐:イエス様の教えは
旧約聖書の教えでは被害を受けた場合、同じ報復ができるとされる「目には目を、歯には歯を」(レビ24:19~20)。現代人には残酷な話に感じる。これは感情を怒りに任せ、エスカレートを起こさせないという配慮である。しかし、イエス様はこの教えを否定された「あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。」(マタイ5:38~39)。さらにローマ12:17~21「だれに対しても悪に悪を返さず、…すべての人と平和を保ちなさい。…善をもって悪に打ち勝ちなさい。」につながる。私たちが悪に報復しないのは、神様が代わりに怒りをもたれ、復讐し、報復を行うからである。私たちが悪に対して気をもみ、戦う必要はない。復讐、報復は神様に委ね、敵に善さえも行い、悪に打ち勝つことが記されている。Cf.キリスト者ではなかったがマハトマ・ガンディーやM・L・キング牧師もここに立っている。

Ⅲ.悪への最終的な復讐:救いの完成の日に
ガンディーは植民地主義のイギリスに、キング牧師は人種主義者のアメリカ指導者に非暴力で抵抗した。私たちの周囲にも憎しみや争いがあり、そのような思いに時に囚われる。何ゆえかと思う酷い出来事、凶悪な事件はいつも起こる。世界に悪の力は大きく働いている。神様は小から大まで悪を放置されているのか。聖書を通して歴史を見れば、神の国は前進を続けているが、悪の力も大きく働いている。イエス様はマタイ13:24~30で天国のたとえとして、畑の良い麦に毒麦が混ざってしまった話をされた。途中では見分けがつかないので毒麦は収穫時に集めて焼かれる。この話の収穫は世の終わりを指しており、神の国は成長し、悪の働きも大きくなる。最後に滅ぼされるのは悪であり、神の国は完成することが示されている(黙示録17~18章を参照)。神様は悪に対して断固とした姿勢をとられる。

私たちは周囲の悪にも関わることなく、平和を求め、十字架の福音を伝え、御言に立ち続け、周囲に神様の愛を示し続けていこう。