聖書:使徒の働き15:5~21

15:5 ところが、パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った。
15:6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。
15:7 多くの論争があった後、ペテロが立って彼らに言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされました。
15:8 そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。
15:9 私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
15:10 そうであるなら、なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。
15:11 私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」
15:12 すると、全会衆は静かになった。そして、バルナバとパウロが、神が彼らを通して異邦人の間で行われたしるしと不思議について話すのに、耳を傾けた。
15:13 二人が話し終えると、ヤコブが応じて言った。「兄弟たち、私の言うことを聞いてください。
15:14 神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオンが説明しました。
15:15 預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。
15:16 『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。
15:17 それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。
15:18 ──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば。』
15:19 ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。
15:20 ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです。
15:21 モーセの律法は、昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」

 

本日は第98回教会総会の開催となる。聖書の中から教会の意思決定を見ていこう。

Ⅰ.エルサレム会議の開催
五旬節の日に聖霊が降り、エルサレムに教会が誕生した。生まれて間もない教会は外部からの迫害や内部の不満など問題は起こってきた。教会はそれらを乗り越え、ユダヤ、サマリアの全土、地の果てへと向かって行った。福音宣教の広がりによってユダヤ人以外の異邦人も救われていく。シリアのアンティオキア教会がパウロとバルナバを海外宣教に送り出す。異邦人の救いについて割礼が必要なのか不要なのか、アンティオキア教会でも両論に分かれた。割礼についてはエルサレム教会から出てきた話であり、パウロとバルナバは決着のためエルサレムに上った。ここに会議が開かれる。古代ギリシャの都市国家は民主制を持っていたが、教会は初めから議論を重視し大切なことを定めた。互いに意見を述べ合い、その積み重ねによって、神様の真理が明らかにされ、神様の御心・御旨を確信することとなる。

Ⅱ.エルサレム会議の経過
異邦人のクリスチャンにも割礼が必要かどうかという激論が起こり、論争は長引いた。この時の対応は、
1)まず、時間はかかっても互いの意見を出し合った。
2)ペテロは自分が導かれたカイサリアの百人隊長コルネリウスの救い(10章参照)から、国籍・民族に関わらず、イエス様の福音は全ての人の救いのためであると語った。事実から導き出された神様の真理を示した。
3)パウロとバルナバは第一回伝道旅行で起こった奇跡と不思議を語った。真理のみならず奇跡が起こっていることは神様の力強い関与であることを証明した。
4)エルサレム教会の指導者となっていた主の兄弟ヤコブが立ってしめくくり、結論となった。人間の思いや考えが語られ、神様にある事実が確認され、その証明があって答えは導き出された。

Ⅲ.エルサレム会議の結論
異邦人クリスチャンへの割礼は必要なしとされた。偶像の供え物、不品行、絞め殺したもの、血は避けるようにとの決定は、現在の私たちには不品行を禁じる以外はよく分からない。これによって異邦人クリスチャンは公認され、ユダヤ人クリスチャンも安心して信仰生活を送る基盤ができた。双方への配慮がなされた結論であった。神様の真理が明らかにされ、御心が示されることが教会会議の第一義の目的である。そこには破壊ではなく建設がなされる、分裂ではなく一致がなされる、失望ではなく希望を見出されていく。本会議の結果次第でキリスト教は、ユダヤ教の1宗派、ユダヤ教の異端にしか過ぎなくなっていた可能性はあった。全世界に出て行く大切な礎がここに築かれた。

イエス様の昇天、五旬節からそれほど経ってはいない。ペテロの歩み、パウロ・バルナバの歩み、ヤコブの歩み、エルサレム教会の状況、全てが重ね合ってこの結論が導き出された。本日午後の教会総会も主が備えられ、導かれている。開かれた心で受け止め、御心を確信できるように願っている。