聖書各巻緒論42,新約3,福音書3
聖書:ルカ4:14~30
4:14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。
4:15 イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。
4:16 それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。
4:18 「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、
4:19 主の恵みの年を告げるために。」
4:20 イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。
4:21 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」
4:22 人々はみなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いて、「この人はヨセフの子ではないか」と言った。
4:23 そこでイエスは彼らに言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、『カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ』と言うでしょう。」
4:24 そしてこう言われた。「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。
4:25 まことに、あなたがたに言います。エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉が全地に起こったとき、
4:26 そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女にだけ遣わされました。
4:27 また、預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、その中のだれもきよめられることはなく、シリア人ナアマンだけがきよめられました。」
4:28 これを聞くと、会堂にいた人たちはみな憤りに満たされ、
4:29 立ち上がってイエスを町の外に追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした。
4:30 しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた。
イエス様の生涯を描く福音書の第3巻、ルカによる福音書を開いていく。
Ⅰ.信仰がさらに確かに
前書きが独立しているのは、ルカ福音書と使徒の働きだけである。両方共にローマの高官と言われるテオフィロに献げられている。使徒の働き1:1「前の書」はルカ福音書であり、ルカが両方の著者である。ルカはパウロの弟子であり、コロサイ4:14「愛する医者のルカ」から医者だと分かる。当時の医学とは何かと思いがちだが、西洋医学の祖の一人ギリシャのヒポクラテスはB.C4世紀である。テモテ第二4:11「ルカだけが私とともにいます。」とありルカはローマ獄中のパウロと共にいた。ピレモン24「私の同労者たち、マルコ、…ルカ」とあり、ルカとマルコは同じパウロの弟子として面識があった。ルカ福音書1:1~3の序文で「多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。私も、すべてのことを初めから綿密に調べています」とありルカはマルコから聞き、マルコ福音書も参照しながら記している。本書は既に信仰を持つテオフィロに教えの確かさ(1:4)を示すために書かれた。私たちが本書によってさらに信仰に導かれることを示している。
Ⅱ.宣教がさらに大きく
ルカ福音書の中からイエス様の宣教の始まりの記事が開かれた。イエス様の降誕、成長、ヨルダン川での受洗、荒野の試誘、その後はこの記事から始まる。現在、まだまだコロナは収束していないが、閉ざされた期間を経て、私たちもこれから宣教に向かおう、という思いから開かれてきた。イエス様の宣教への準備は「聖霊に満ちて…、御霊によって荒野に導かれ」(4:1)、「御霊の力を帯びて」(4:14)とある。神ご自身であるイエス様が宣教の働きのために最も必要とされたのが聖霊の満たしと、聖霊の働きである。私たちが聖霊を抜きにして御言を語り、人を導くことはできない。聖霊を求めることを第一とし、ここから始めていく。聖霊の器と私たちがされるように、日本に救いの業が起こるように祈ろう。
Ⅲ.足元からさらに広く
イエス様は郷里のナザレに帰られた。安息日に通い慣れた会堂に行かれた。イエス様はイザヤ書61:1・2を朗読され、御言を語られ、ナザレの人々は神様の恵みを喜んだ。特別な奇跡や癒しを求めたがイエス様はこれに応えられなかった。彼らの求めが興味本位で、御利益を求める自己中心的なものだったからである。イエス様が応えられないと彼らは怒り、殺そうとまでした。イエス様がヨセフの子であり、ずっと共におり自分たちと特別な関係にあるというわがままな思いを否定された。郷里、家族、知り合いという関係は恵みでありながら感情的なあつれきが起きやすい。しかし、イエス様はご自分の一番近い関係からお働きを始められた。イエス様が祈り続けられていたマリアや兄弟たちの救いは最後に果たされていった。やがては成し遂げられていくことを見、私たちも諦めないで祈り続けよう。
ルカの福音書は私たちを信仰の深みへと導くためにある。主が働かれ御業、語られた御言の真理に固く立とう。