聖書箇所:コリント第一9:19~27

9:19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。
9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちには──私自身は律法の下にはいませんが──律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。
9:21 律法を持たない人たちには──私自身は神の律法を持たない者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです。
9:22 弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。
9:23 私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。
9:24 競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。
9:25 競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
9:26 ですから、私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。
9:27 むしろ、私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者にならないようにするためです。

聖書各巻緒論46・パウロ書簡2

聖書各巻緒論もパウロの手紙の2番目、コリント人への手紙第一となる。
Ⅰ.コリント伝道の進展
コリントは、地中海を渡りローマからアジアへの東西貿易の最短ルートの中継点にあった。コリントは諸外国の人々、他国の貿易品、それに伴うお金が行き交う商業が栄えた町であり、工業も盛んであった。繁栄した豊かな町であったが、諸外国の神々を祭った神殿が多くあり、世俗的な風紀の悪い町だった。
パウロは第二回伝道旅行でアジアの港町トロアスからエーゲ海を渡り、マケドニアに上陸した。ピリピ、テサロニケ、アテネからコリントに着いた。この時のパウロは「弱く、恐れおののいていました。」(2:3)とある。パウロは直前のアテネ伝道は上手くいかず失望し、コリントの世俗的な雰囲気に恐れを感じていた。
この世に染まったコリントの町だが、神様はこの町での働きを進められた。パウロを助けるアキラ、プリスキラ夫妻(使徒18:2)、支援するティティオ・ユスト(使徒18:7)を神様は備えられていた。パウロは神様の励ましを受け1年半福音を語り続けた(使徒18:9~11)。コリント教会はアカイア宣教の拠点となっていく。

Ⅱ.コリント教会の内情
コリント教会はパウロが伝道を開始し、その後アポロ、ペテロも関り、中心的な教会として成長する。しかし、コリント教会には多くの問題があった。パウロはアテネでの失敗に学んで、十字架の福音を包み隠さずに語った(1:18)が、コリントの信仰者は福音を十分に理解しなかった。イエス様に付かず、人に付き分派があった。町の雰囲気に引かれて、不品行な罪深い者もあった。また、逆に律法主義者のように禁欲的な生活を送る者があった。異言を語って教会に混乱を引き起こす者もいた。パウロは諸問題に対して長い2通の手紙を書き送った。他にも2通の手紙があり、パウロの代理の使者も送られた。多くの問題がありながらも、神様が導かれ、有力な伝道者が関わり、神様に愛されていた教会と言える。

Ⅲ.コリント教会の自由
イエス様の十字架のあがないによる救いによって、私たちの心と魂に自由と安息がもたらされる(ヨハネ8:31・32)。私たちは神様にある自由を持つが、コリント教会の信仰者は自由を自分勝手に用いていた。パウロは自由を持っていたが、自分のために用いず、神様のためにささげている(ガラテヤ5:13・14)。パウロは律法にあるユダヤ人、律法のない異邦人、弱い人、…どんな人に対しても、その救いに仕える者であると語っている。例えるなら、競技場で走るランナーのようであり、拳闘をするボクサーのようであると言う。ランナーは自分自身との戦いであり、ボクサーは敵と格闘する戦いである。パウロは自らを、自分自身に厳しく、敵との戦いにも全力を尽くすものであると言う。神様にある勝利、栄誉、祝福を得ていくためである。自由を自己満足ではなく、他者のために用い、神様の御心を満たしていくことが大切である。

2千年前コリント教会は特別であったが、この時代に私たちに常に起こりうる危険を示している。