出エジプト記20章12節~17節

(12)あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
(13)あなたは殺してはならない。
(14)あなたは姦淫してはならない。
(15)あなたは盗んではならない。
(16)あなたは隣人について、偽証してはならない。
(17)あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

神は、愛する神の子供たちが本当の意味で幸せになるように、十の戒めをつくられました。先月は前半部分を学びました。
1、神以外のものを神としてはならない。
2、刻んだ像をつくってはならない。
3、主の名をみだりに唱えてはなわない。
4、安息日を覚えて、聖とせよ。
これは『心を尽くして神を愛しなさい。』と言う第一の戒めにまとめることができます。今朝は後半の6つです。これは『自分を愛するように、あなたのとなり人を愛せよ。』という第二の戒めにまとめることができます。「ハイデルベルグ信仰問答」(抜粋)から学んでいきます。
1.第5戒『父母を敬え』
 わたしが、父母及び上に立つすべての人々に、あらゆる尊敬と愛と誠を尽くして、善き教えや処罰にもふさわしい服従を持って自ら従い、たとえ彼らが寛容さに欠けていても、自ら従順に従う、ということです。なぜなら神が、彼らの手を通して、わたしたちを統べ治めようと望んでおられるからです。
2.第6戒 『殺してはなわない』(マタイ5:21~26)
 わたしが、自らの意図した言葉や素振り、実際の行為によって、決して隣人を辱め、憎み、侮辱し、殺してはならない、ということです。むしろいっさいの復讐心を捨て去り、自分自身を傷つけたり殊更に自分を危険にさらすべきではありません。殺人を禁ずる事により、神は、殺人の根源となる妬み・憎しみ・怒り・復讐心を憎みます。それらはすべて、神のみ前で(すでに行われた)ひそかなる殺人なのです。神はこの戒めを通して、妬み・憎しみ・怒りを、永遠の呪いと刑罰を持って断罪しておられるのです。わたしたちが隣人を自分自身のように愛し、忍耐・平和・寛容・慈愛・誠実を尽くして、為し得る限り隣人の被害を取り除き、自分の敵にさえも善を行うようになることを、神はわたしたちに求めておられます。
3.第7戒『姦淫してはならない』(マタイ5:27~30)
 不貞不純はすべて神に呪われています。それゆえわたしたちはそれを心から憎み、聖なる結婚生活にあっては、またそれ以外の場合でも、貞淑で清潔に生きてゆかねばなりません。私たちの体と魂は双方共に、聖霊の宮です。ゆえに神は、わたしたちがこの二つを清潔に聖なるものとして、保つことを求めておられます。したがってみだらな行為や動作、不潔な言葉や考え、また汚らわしい欲望そのような誘惑に人を惑わす一切のものを、神は禁じておられるのです。
4.第8戒『盗んではならない』
 神が禁じたもうのは、司法当局に罰せられるあらゆる盗みや略奪のみならず、暴力による強奪はもとより、不正な度量衡及び不正な通貨両替や利息など、見せかけの正しさを偽装して隣人の財産をかすめ取ること、或は神が禁じ給う方法で、隣人の持ち物を奪い取ろうとする悪辣や悪企みの全てを、神は盗みと見なし禁じるのである。またこれらに加え、あらゆる貪欲と自分に与えられた賜物を無益に浪費することを神は禁じた給うのです。私が、できる限りまた赦される範囲で、隣人のために利益となるように働き、自分が人にしてほしいと願うことを隣人にも行い、また困窮する貧しい人々の助けとなるように良心を持って労苦することを、神は求め命じておられます。
5.第9戒『偽証してはならない』(詩篇141:3)
 どんな人に対しても嘘偽りを言わず、人の言葉を曲げず、悪口や陰口を言う者にならず、弁明も聞かずに、軽々しく人を呪い罰する事に加担しない、ということです。かえってあらゆる嘘偽りを悪魔のわざとして、神の激しい怒りゆえ避け、法廷においてはまたその他いっさいの行動においても真実を愛し、正直に陳べ告白し、力の限り隣人の尊厳と名誉を守り助ける、ということです。
6.第10戒『隣人の家を欲してはならない』(マタイ6:31,33)
 神の戒め一つでも犯すような望みや考えは、どんな些細であっても、決して私たちの心の中に入り込ませてはなりません。かえって私たちは、いつも心からあらゆる罪に立ち向かい闘う者となり、神の義を喜んで求める者となるのです。
 どんな聖い人でもこの世に有る限り、ほんの僅かだけその服従(生活)を始めているに過ぎません。しかし僅かでも、その人たちは確かに、真剣な決意を持って、一部の掟どころか、神のあらゆる戒めに服従する生活を今すでに、生き始めているのです。
 わたしたちが全生涯に渡って、時と共に自分の罪深い本性をいよいよ深く知り認めるようになり、私たちが(自分の罪の本性をいよいよ深く知るにつれて)益々熱心に、キリストにおける罪の赦しと義とを求めるようになるためです。第二に、私たちがたゆまず励み、聖霊の恵を乞い求めるようになり、時と共に益々、神の似姿へと新たに作り変えられ、ついにこの世の生涯を終えて、完成と言う目的を達成できるようになるためです。
 以上見てきたように、神様が私たちに求められることは、人間関係における心のきよめ、生活の様々なことを人と比較せず、あるものに感謝し神に信頼することです。これらのことを、真剣に自分に問う時に、赦しを求め、血潮のきよめを求める以外にありません。神は完全に私たちを赦し、愛し、御旨を行うに必要なものは全てそなえてくださいます。感謝して益々信頼し、互いに愛し合っていきましょう。
『私たちは、言葉や口先だけで愛し合うのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。』(Ⅰヨハネ3:18)

マタイによる福音書5:21~26
5:21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
5:23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、
5:24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。
5:25 あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。
5:26 よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。

マタイによる福音書5:27~30
5:27 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:28 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
5:29 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
5:30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

詩篇141:3
主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。

マタイによる福音書6:31、33
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。