聖 書 ルカ2:1~7

1:そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
3:人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
4:ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5:それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
6:ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
7:初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

金 言 
「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである」。(ルカ2:7)
 ルカは、クリスマス物語の中に、印象的に「飼葉おけ」(7,12,16)に寝かされた主イエスを描いています。ルカは、マリヤとヨセフの主イエスの誕生の証言から「飼葉おけ」を後世に伝える大切な出来事として記したのです。
1.飼葉おけ-人の罪の象徴
 初代ローマ皇帝アウグスト(本名ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス 在位BC27-AD14)は、絶大な権力により、この当時のヨーロッハと地中海世界 に「ローマの平和」を言われる支配を確立しました。この世の最高権力者によって、人口調査(1)が命じられ、妊娠中のマリヤとヨセフが、ナザレからベツレヘム(ダビデの町)への過酷な旅を強いられることになったのです。主イエスの誕生は、あまりに小さな出来事で、神が見えず、この世しか見えてこないのです。神の力はあまりにも小さく、この世の力に翻弄されているようにしか感じないのです。
 しかし、皇帝の命令に服したように見えますが、神のご計画によって「ベツレヘム」(マタイ2:6)は救い主の誕生の地と定めてられていたのです。
 マリヤと、ヨセフは、信じられないような神の子の降誕を受け入れ信じました(マタイ1:18-12,ルカ1:37)。そして、神の業は、この「飼葉おけ」に成就したのです。このあまりにも小さな出来事が、世界の歴史と人を二分することになるのです。
 「飼葉おけ」に主イエスが寝かされた理由は、「客間には彼らのいる余地がなかった」(7)です。人々の心にも、生活にも、主イエスを迎え入れる余地がなかったのです。人がこの世に来られた主イエスに提供したものは「飼葉おけ」でした。人々の自己中心の象徴です。神を排除する罪の象徴です。
2.飼葉おけ-主イエスの謙遜の象徴
 「神が来られる」ならば、輝かしい姿で登場し人々がひれ伏す場面になって当然です。しかし、主イエスは「飼葉おけ」に、その身をゆだねたのです。父なる神はこのような場面に神の子を遣わされたのです。それは、主イエスの謙遜を象徴しています。
 「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである」(Ⅱコリント8:9)。どんな貧しい者でも、どんな罪人でも、「主イエスだけには」近づくことができるのです。人々は主イエスを排除しますが、救い主は人々を招いているのです。
 「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである」(ヘブル5:7-10)。主イエスの苦難の生涯は、「飼葉おけ」から始まり「十字架」に向かっていくのです。そして死からよみがえり、生けるキリストは、「永遠の救いの源」「大祭司」となられたのです。
3.飼葉おけ-主イエスを信じる者の象徴
 主イエスを冷たい「飼葉おけ」に寝かせたままであるならば、救い主がこの世に来ても、何も変わりません。この世は罪と死、暗黒のままです。救い主の誕生は無駄、無意味になります。
 主イエスが生まれて八日目(22)に、主イエスを抱いたシメオンは、神を賛美します。「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかにさらせて下さいます。わたしの目が今あなたの救いをみたのですから」(2:29-30)。
シメオンがその人生をかけて救い主を抱くことを待ち望んでいました。そして、救い主をその腕に抱いたのです。
 救い主を心に迎えいれた人は、シメオンと同じ感動と喜びを経験するのです。人生が、「この世」から「神の国」に、「暗黒」から「光」に、「絶望」から「希望」に変えられていくのです。