聖 書  エペソ人への手紙6章10節~20節

10:最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
11:悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
12:わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
13:それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
14:すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
15:平和の福音の備えを足にはき、
16:その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
17:また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
18:絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
19:また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
20:わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい。

金 言
 「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」(エペソ6:12)
 昨年、わが国を襲った未曾有の東日本大震災から、もうすぐ一年を迎えようとしています。あの時、北関東・東北の人々が受けた傷跡は、今なお多くの人々の上に重くのしかかっています。今年こそは良い年であって欲しいと願う気持ちは、すべての人に共通した心情であろうと思います。しかし、そうした願いを逆なでするように、今年の冬は歴史的な大雪に見舞われ、多くの人々が命を落としています。北国の人々は二重、三重の苦難を強いられています。どうしてこのような理不尽なことが多く起きるのでしょうか。一日も早い復興と原発の収束を祈り願ってやみません。
 哲学者・梅原猛はこれを「文明災」と呼び、作家・半藤一利は「第二の敗戦」(註・第一の敗戦は太平洋戦争)と捉えています。確かに人類の歩みは自然、文明、健康、エネルギー、覇権などとの「戦いの歴史」であったと言えます。しかし、これらの戦いはどこまでも相対的なものに過ぎませんが、聖書は「天上にいる悪の霊との戦い」こそが、絶対的な戦いであると教えています。すべての戦いの元凶は悪魔なのです。私たちはこの戦いに勝利を収めなくてはなりません。
 戦いには戦略と戦術が必要ですが、最終的には武具が勝敗の決め手となります。そのために聖書は「神の武具で身を固めなさい」と勧めているのです。まず防御用の武具として、「真理の帯、正義の胸当、平和の福音、信仰の盾、救いのかぶと」の五つをあげ、次に攻撃用の武具として、「御霊の剣・神の言、御霊による祈り」の二つをあげています。
「やみの世の主権者」である悪魔は「偽装、不義、争い、不信仰、滅亡」など武器をもって私たちを攻撃してきます。私たちは、「悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるため」に、神の武具を身につける必要があるのです。
 キリストは弟子たちに「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16:15)、また、「わたしの小羊を養いなさい」(ヨハネ21:15)と命令されました。
これらの言葉はキリストの大宣教命令と呼ばれている大切な御言葉です。これらの言葉から「教会の使命は福音の宣教(伝道)と教会の建設(牧会)である」と言うことができます。前者は攻撃であり、後者は防御です。[伝道と牧会]こそが、宣教の両輪です。
 キリストの大宣教命令を達成するために、「天上にいる悪の霊との戦い」に勝利を得るために、強力な武具を身に着けさせていただきましょう。