聖 書 出エジプト記20章1節~11節

1 神はこのすべての言葉を語って言われた。
2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
7あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

金 言
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。(出エジプト20:3)
 去る5月3日は憲法記念日でした。モーセの「十戒」は、イスラエル民族がカナンに定住して新しい国をつくるための神からの憲法であると言うことができます。彼らは十戒によって、神との敬虔な関係、人との健全な関係を教えられました。十戒はイスラエル民族の形成に役立っただけではなく、やがてキリスト教を通して世界の倫理に多大な影響を与えたとされます。十戒の前半は神への敬虔、後半は人への愛です。
1.わたしのほかに神々があってはならない(第一戒)
 日本には八百万(やおよろず)の神がいるといわれます。真実は、神はただお一人であり、それは天地万物を造られた神様です。神は抽象的な概念や人間が考えついた思想の産物ではありません。歴史におけるできごとはすべて意味があり、それは神のみこころの現れといえます。神は歴史の中で生きて働いておられるお方です。私たちは歴史を導く見えざる神を信仰の目をもって見て、みこえに忠実に聞き従い前進して行かなければなりません。人が神を考え出したのではなく、神が人を造られたのです。神はその民と交わる人格的な存在です。霊的・人格的な交わりにおいて一番大切なことは、真実と誠実であり続けることです。真の神に心を尽くしましょう。
2.偶像をつくってはならない(第二戒)
 神は神のかたちに人を創造されましたが(創世記1:27)、人は人のかたちに似せて神を想像しました(ローマ1:23)。ここに偶像礼拝の本質があります。人間は神を見ることができないので、見えるものを神とします。偶像を造ることは被造物を神とすることで大きな誤りです。人間が考えた宗教に共通することは、神は人のために存在して、宗教は人間の利益のためにあるという思想です。御利益があると聞けば我先にと大挙して押し寄せ、一旦不幸が起これば「神も仏もあったものではない」と嘆く始末です。パウロはアテネの町が偶像でいっぱいなのを見て心に憤りを感じました。ギリシャの人々は人間の知性によって哲学をつくり、その思想を誇っていました。彼らは多神教徒であり町には偶像があふれていました。彼らは自分の考えに酔い、神のことばを受け入れませんでした。現代人も科学万能主義で技術革新や情報革新を誇る一方で、精神的に多くの人が病んでいます。いつの時代でも神以外を神の座に据える偶像礼拝は混乱と退廃をもたらします。偶像に囲まれている日本において、霊的な戦いは常にあります。しかし主に従い仕えるとき勝利と祝福があります。
3.主の御名をみだりに唱えてはならない(第三戒)
 モーセやイザヤが神の聖なる臨在を体験したとき、神を畏れ、神の御名をみだりに唱えることをしませんでした。みだりにではなく、主の御名をふさわしく敬虔に用いなさいということです。主の御名がきよめられるためには、まず私たち自身がきよくならなければなりません。主の御名を汚すことがないように、私たちの魂をきよめ、言葉と生活を整えなければなりません。主は「人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)と言われます。
4.安息日を覚えこれを聖とせよ(第四戒)
 キリスト教とはキリストが復活されたことを記念して日曜日を聖なる日としています。「主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」(出20:11)。安息日の意味は創造の完成と休息にあります。休息を表すとき、レクリエーションという言葉を使いますが、それは再創造(リクリエーション)を意味します。身体を休めて、私たちを創造された神と交わるとき、新しく生きるためのエネルギーが充電されます。現代人は休息を知らない緊張と労働のために疲れ果てています。それは過労死につながります。労働と休息の本当の意味を知るために創造主のみまえに静まる時を大切にしたい。