聖 書 マルコによる福音書9章1~8節

1 また、彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
2 六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、
3 その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
4 すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
5 ペテロはイエスにむかって言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
6 そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。
7 すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
8 彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。

金 言 
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。  (マルコ9:2b)
 エリザベス女王は弱冠25歳の若さでイギリスの女王に即位してから、今年6月で在位60年を迎えました。女王には半世紀以上に渡ってイギリス連邦王国の元首とイングランド国教会の首長という大いなる権威が授けられています。人はその任職期間には相応の権威を授けられますが、どんな権威も永遠に続くことはありません。しかし神さまはすべての人の「罪を赦す権威」を永遠に保持されておられます。
1.罪の赦しを宣言される方
 主イエスは自分の町カペナウムに帰って来られました。すると大勢の群衆が集まり、彼らを教えておられた家に、一人の中風の男が床に伏せたままで、四人に運ばれてきました。ところが家の周囲は人だかりがして入口からは入ることができません。そこで彼らは一計を案じて、家の外階段を上がり屋上から家の屋根をはがして、主イエスの目の前をめがけて、するすると病人をつり下ろしました。下ろされた病人と屋根をはいだ男たちは、癒していただける事を懇願するように主イエスを見つめました。主イエスはそんな一途な彼らの信仰を見て、中風の男に向かって「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と宣言をされました。当時のユダヤ社会では、あらゆる病気はすべて罪の結果であると信じられていました。このとき主イエスは罪の赦しの宣言をすることで、同時に病気も癒すことがお出来になりました。
2.神への冒涜とみた人
 「あなたの罪はゆるされた」とこの宣言を聞いた律法学者たちは、心の中でつぶやきます。「この男は神を冒涜している」と。彼らは罪を赦す権威を持っているのは、神さまだけであると考えていたからです。だから律法学者たちは神以外のものが、罪の赦しを宣言することはとんでもないことだと即座に主イエスを断罪しました。主イエスが「あなたのはが赦された」といったことで、律法学者たちは主イエスの宣言は神を冒涜する行為だと決めつけて表情が硬くなりました。神を冒涜する行為とは、自分を神であると主張することであり、神のご性質を自分自身に当てはめることでした。律法学者はこのとき主イエスがご自身を神であると主張していると判断をしました。その判断自体は正しかったのですが、主イエスがまことの神であり、病をいやす権威と罪を赦す権威のどちらも持っておられることを理解することはできませんでした。主イエスは、律法学者たちが心で自分を批判していることを見抜き彼らにとって難問を出します。
3.どちらがたやすいか
 主イエスは「あなたの罪はゆるされた」、と言うのと、「起きて歩け」、と言うのと、どちらがたやすいかと言われたのです。人間同士では、罪が本当に赦されたのか、その結果を実際に目で見ることはできません。赦されたことを確かめる方法がないので、口から出まかせを言うこともできます。しかし中風の癒しは、その人が起きて歩きだすならすぐにわかります。ですから「起きて歩け」と中風の人に命じることは決して安易にはできません。私たち人間にとっては、むしろこちらのほうが難しいと言えるでしょう。しかし本当は病気を癒すより、罪を赦すことの方がはるかに難しいのです。というのは罪の赦しは神のみに与えられた権威だからです。このことを律法学者は知っていましたから、まず彼らにとって難しいとされた中風の人を癒すときに、「人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」(6)と言ったうえで「起きて歩け」と命じてそのしるしをもってご自身の権威を公に現されました。彼は直ちに起きて家に帰ります。群衆はそれを見て「こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめ」ます。主イエスは神にのみ与えられた罪を赦す権威を持つ救い主でした。今日はこのあとに洗礼式があります。今日洗礼を受ける方だけでなく、主イエスを信じるならば「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と、どなたにも神さまははっきりとした宣言をくださるのです。