聖 書 詩篇103篇1節~5節

1 わがたましいよ、主をほめよ。
わがうちなるすべてのものよ、
その聖なるみ名をほめよ。
2 わがたましいよ、主をほめよ。
そのすべてのめぐみを心にとめよ。
3 主はあなたのすべての不義をゆるし、
あなたのすべての病をいやし、
4 あなたのいのちを墓からあがないいだし、
いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、
5 あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。

金 言
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 (詩篇103:2 新改訳)
 明日で2012年は幕を閉じる。クリスマス後にある年内の礼拝は年末感謝礼拝である。聖書は、「すべてのことに感謝しなさい。」(第1テサロニケ5:18)と教える。「感謝は探してでもしなさい」と言われたことがある。感謝することは、感情によるのでなく意思の問題ということある。そういう意味では詩篇103篇1〜5節は個人の感謝の賛歌として秀れた作品である。
1.すべての恵みに心をとめて-恵みの量は莫大
 「わがたましいよ 主をほめたたえよ。」詩篇の記者は自己の存在の中枢とされるたましいに、まるで第三者に叫ぶように強く呼びかける。現実の問題に心が揺さぶられ悩みの壁にぶつかる時、信仰に立ち返る必要がある。自分の存在を支える心とたましいを形づくられた神様という原点に帰り心の奥底から賛美感謝しよう。この詩篇の表題(はじめに小文字で表記された文字)には「ダビデによる」とあるが、それは必ずしも作者を示すものではなく、彼を「記念して」の意である。103篇の記者は信仰の覇者たるダビデの生涯に思いを馳せながら、自己のたましいに呼びかける。ダビデは神の選びにより羊飼いからイスラエルの王にまでなった。ダビデは自分が仕えた王サウルから妬みをかい、彼の殺意を逃れるために何度も危険な目にあうが、その度に神の助けから命拾いした。「わがたましいよ 主をほめたたえよ。」はまさに命の危機を乗り越えたダビデの心境にかなったすべての信仰者の叫びである。主をほめたたえるために自己存在のすべて(肉体、心、霊魂)を用いなさいと歓呼する。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(2・新改訳)それは記憶を喪失に対しての忠告というより、神様が与えてくださる恵みを軽視したり無視したりすることへの警告である。神様は当座には試練と思えることさえも、後に思い起こすとそれは恵みへのステップだったと感謝できる。主にあって無駄や無意味な出来事はあり得ないと信じたい。
2. アメイジング・グレイス-恵みの品質は最高位
 全ての恵みの頂点であり比類なき神の恵みとは「救い」である。神様は私たちの全ての罪をご存知であるのに、すべての不義を十字架によって赦し、救われた人の罪で病んだ心を癒して、地上の死を超えて永遠に生きる命を与えることで、私たちのまことのいのちを墓から贖い死と滅びから救ってくださった(3-4)。救いの恵みは人として受ける史上最高のものです。これに勝る感謝はありません。救いの恵みを感謝して神様をたたえた有名な賛美歌といえば「驚くばかりの(アメイジング・グレイス)」がある。作詞をしたジョン・ニュートンは1725年イギリスに生まれた。母親は敬虔なクリスチャンだったがジョンが7歳の時に亡くなる。成長したジョンは船乗りになると黒人奴隷を輸送する「奴隷貿易」を仕事にする。当時黒人奴隷への扱いは家畜以下であり輸送船内の衛生環境は劣悪だった。ジョンも拉致した黒人に非道な扱いを当然のように行った。1748年5月10日、ジョン22歳。船長として任された船が嵐に遭い転覆しそうになり彼は必死で神に祈った。心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだった。そのとき船は奇跡的に嵐を脱し難を逃れてこの日を境に彼は回心した。1755年、ジョンは船を降り牧師となり1772年「アメイジング・グレイス」が生まれた。歌詞は彼が黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められている。(ウィキペギアより抜粋)救われた者にとっては、救われたことがいかに「驚くばかりの」恵みかがわかる。
3.恵みで覆い尽くされた生涯―恵みの時間は永遠
 年末になると、多くの人が、来年はどうなるのだろうと気にし、占いや運勢を見る。日本人は日頃は宗教的なことに無関心だが、年に一度信心深くなる時が来る。お正月である。彼らは神を拝んでいるのではなく、自分の「開運」を求めてくる。聖書の神は「あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。」(5)と、私たちが将来、必ず受ける恵みをすでに約束してくださる。先のことを気に病まなくても、あなたを造られた神様はあなたを愛しているがゆえに、生きる限り恵みで覆い尽くされた一生を備えておられる。「あなたは若返って、わしのように新たになる。」年が変わると新年となりお互い一つ年を重ねる。ルカ二章に出てくる高齢者シメオンとアンナは、宮もうで来た幼な子イエスが救い主であると確信して神をたたえた。たましいの奥底から主をたたえてやまない人は年をとっても喜びが尽きることなく若々しい(イザヤ40:31)。あなたのたましいは彼らのように心から主に向かいほめたたえていますか。