聖 書 詩篇1篇1~6節
1:1悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3このような人は流れのほとりに植えられた木の、時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
1:4悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
1:5それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
1:6主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
金 言
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。(詩篇1篇2~3節)
新しい年もあっと言う間に半月が過ぎてしまいました。新年を迎えると多くの人は「今年こそはこうありたい」と昨年達成できなかったことの雪辱を果たそうと心に決めます。しかし月日が経つに連れて年のはじめの信念はぐらついてきます。またサタンはわたしたちの弱点を心得ていてそこを突いてきます。それが肉の欲、目の欲、持ち物の誇りで世から出たこれらのものに人は弱いのです。誰でも新品で美しいものや他の人が持っていない稀少なものを見れば欲しいなとひそかに思い、自分がほめられ一目を置かれたいという誘惑に駆られます。ではそれら人の心に巣食う罪や悪を追い出し、これに勝利して常に神様の側につくには、どうすればよいのでしょう。
1.神様の教えを喜ぶ
詩篇1篇はその秘訣を教えています。「悪しき者」「罪びと」「あざける者」に陥らないために有効な特効薬は、自分の強い意志や決意ではありません。それは神様のおきてであるみ言葉を「喜ぶ」ことです。み言葉はあらゆる悪を撥ねつけて寄せ付けません。あなたの心をいつも守る見えないバリアー、安全で最強のガードは「神の口から出たみ言葉」です。世界でも有数の頭脳をもつと言われるユダヤ人の教育方法は幼い頃から家庭で両親が聖書をしっかりと教えることでした。箴言は短く暗記させるために「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。」と教えました。詩篇1:2では「昼も夜もそのおきてを思う。」とあり 一日中おりに触れてみ言葉を思い起こすようにしなさいと語ります。あなたは暗記しているみ言葉を日がな喜んで思い巡らしていますか?世のあらゆる愉快な出来事や興味津々なニュース以上にみことばを慕い求めていますか。サタンはあなたの心をみ言葉から離そうと躍起になっています。
2.神様の教えを口ずさむ
聖書に登場する多くの信仰者は、神様の教えを喜び絶えずみ言葉を愛しました。そのうちの二人に焦点を当てます。ヨシュアと詩篇119篇の作者です。旧約聖書にモーセという偉大なリーダーが登場します。彼は神様から命じられて当時エジプトで奴隷だったイスラエルの民を率いて脱出させます。ヨシュアは若き後継者としてモーセ亡き後を引継ぎます。エジプトで帝王学を学んだモーセと違い、ヨシュアは知識もなく経験も浅く実績もないままに信仰のバトンが渡されました。カナンの地にいる先住民族に勝利をして行くのに、ヨシュアが何より大切にしたのがみ言葉です。ヨシュアは「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。」 (ヨシュア1:8)と出陣前にヨルダン川を渡る民全体をこう励まし強めています。将来に不安や恐れがいつもある私たちですが、み言葉の助けがあれば「向かところ敵なし」です。もう一人は詩篇119篇の作者です。150篇ある詩篇中で最も長いのが119篇です。この作者はみ言葉をこよなく喜び愛します。彼は「あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。 (詩篇 119:103 )」と神をたたえ甘美なみ言葉を味わっています。
3.神様の教えと共にいる
神様はご自身の教えを喜ぶ人を祝福されます。祝福とはどんな形で現れるでしょうか。それは木に例えるなら、葉がよく茂ったらそのあとで時が来ると「実を結ぶ」のです。植物は春に種を蒔いて、夏に水をやり世話をすれば、秋には草や木は豊かに実が実ります。信仰のゴールも豊かに実を結ぶことです。そして内側にクリスチャンとして実を結ぶとき、「そのなすところはみな栄える」のです。どんなときにも神様が共におられることを信じて、あらゆる試練にも負けなかったから、最後には大いに栄えた人といえば、創世記のヨセフです。ヨセフの一生は波乱万丈です。父ヤコブから溺愛されたヨセフは、他の兄弟から嫌われて殺されそうになりますが、命拾いはするもののエジプトの地に奴隷として売られてしまいます。ヨセフは主人に貢献して優秀な働きをしますがさか恨みを買い牢屋に入れられてしまいます。ですがヨセフは落ち込むことなく牢屋でも用いられ人を助けます。頼みにしていた人から忘れられても望みを失わず神の時を待ちました。どんな境遇に置かれても試練が襲ってきてもへこたれません。それは神がヨセフと共におられたので、神は彼のなすことを栄えさせられたからです。神を信じる者が神と共にいることを、自他ともに認めるのは、神様のみことばを喜びそのみ言葉を絶えず口ずさみ行う人です。あなたも神の教えを愛し、ヨセフの祝福を受け取りませんか?