聖 書 使徒行伝1章8節、1章12~14節
1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
1:12 それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。
1:13 彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。
1:14 彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。

金言
「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」(エペソ6:18)

今年のイースターは4月20日でした。死からよみがえられたイエスは40日間地上でマグダラのマリヤや大勢の弟子たちに復活し、一同は大いに励まされた。やがてイエスは天に帰られるとき弟子たちに「かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」(4)と言われた。父の約束とはなにか。それはイエスが父のみもとに帰ると代わりに「父のみもとから来る真理の御霊」(ヨハネ15:26)が信じる者にくだるという聖霊降臨の大いなる予告である。

1.聖霊は教会を建てあげる

ペンテコステは世界で最初の教会が生まれた日である。世界で最初の教会はエルサレムに生まれた。ペンテコステは教会の誕生日と言えます。世界の救いは二千年間に西アジアの小国イスラエルから始まりました。それが二十一世紀の今日では世界で20億人以上の人たちが、救いの恵みを受け取っています。このように福音がダイナミックに拡大したことやキリスト教が世界の隅々にまで浸透してきたわけは、世界中に建てあげられた主の教会の存在なくして語れません。わたしたちの信仰は教会生活が基礎となっています。つまり教会は救霊のためだけでなく、クリスチャンの霊的成長のためにも欠かせない「神の家」です。そして教会を教会たらしめるのは生ける神・聖霊です。使徒行伝は使徒の活躍による宣教の躍進を伝えていますが、キリスト者を動かす立役者は聖霊なので「聖霊行伝」といえます。教会は、福音書の終わりにイエスが弟子たちに命じられた大宣教命令を、今日のキリストの弟子であるわたしたちが引き継いでいます。教会時代の曙はペンテコステに始まり、そのフィナーレはキリストの再臨です。

 

2.御霊はキリストをあかしされる

イエスは聖霊が降臨される約束、なぜ自分が地上を去り代わりに聖霊がくだられるのか、また聖霊がどのようなお方なのかを、十字架にかかられる前夜に弟子たちに予告のように詳細に語っている。聖霊はイエスのすべてをご存知です。「御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。」(ヨハ16:15)ですからわたしたちはいつでもイエスについてわからないことはみな聖霊に聞くことができます。神は神を信じた者を守り助けるために聖霊がつかわされます。(ヨハ16:7)イエスはよみがえられた後弟子に聖霊降臨の約束をしています。イエスが言われた通りのことが初代教会の歴史で現実となります。聖霊は信じる者は「力を与え」ます。使徒2章でペンテコステが起こると、驚くことにペテロはすぐさま出て行ってためらうことなく大衆に語ります。ペテロはイエスが神であることや十字架と復活の意味をわかりやすくあかししています。聖霊を受けるまでのペテロは一見向こう見ずで強がりでしたが内実は弱虫でした。出生はガリラヤ地方の漁師でしたから、理路整然と福音をあかしできるような教養はありません。ところがこのときペテロの説教を聞いて悔い改めて信仰に立ち返ったものが3,000人もいたというから驚きです。(使徒2:41)聖霊がクリスチャンに与える知恵と勇気と力はわたしたちの憶測をはるかに超えたものです。それはペテロだけに起きた特別な出来事ではなく、最初に聖霊を受けた120人ばかりの人(使徒1:15)は同様に変えられました。愛する皆さん、あなたに福音を証しする自信がないとあきらめないでください。話しても無視される、気まずい関係になる、わからないことをつっこまれたら答えられないと怖気づかないでください。聖霊はすでにイエスを信じたあなたの内におられます。あなたが行動を起こすとき自分の経験や考えに頼らず聖霊のみこえに従うことです。あなたの内にある、あなただけの主を、あなたのことばであかししてください。主はあなたをキリストの証人としてエルサレムに(家族)、ユダヤに(親戚)、サマリヤに(隣人)、地の果てに(親しくない人)のところに遣わしてくださいます。

 

3.御霊は祈りの霊をそそぐ

イエスが父の約束を待っていなさいと言い残して、天に昇って行かれてからペンテコステの日まで、「空白の10日間」があります。この間約束を信じた人は何をしていたでしょう。それは「祈り」です。神はわたしたちを祈りに追い込むために、あえてイエスの昇天と同時に聖霊を下らせませんでした。「信じた者が心を合わせて共に祈る」ことを神は願われました。それは教会を生み出すのに何より大切でした。教会は聖書を学ぶことが大切です。運営するために話し合いも必要です。奉仕も欠かせません。交わりも喜びです。しかし祈ること、集まって礼拝や集会をすることに勝って教会が地上にたつ存在理由と意義はありません。初代教会時代からいつも集まって祈っていました。(使徒2:42、6:4)「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」(エペソ6:18)どんな時でも御霊によって心を合わせて祈るとき、聖霊は教会をつくり変えていくのです。