聖 書:ローマ人への手紙 第10章5~13節
10:5 モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。
10:6 しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。
10:7 また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。
10:8 では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
今年のイースター(復活祭)は4月1日になります。イースターは春分の日の後の満月に最も近い日曜日に祝われるので、年によって日付が変わる「移動祝日」です。イースターがもっと感謝と喜びで満ちるように「復活は救いのよりどころ」であることを学びます。「よりどころ」とはある事の成り立つ根拠となる事柄を指します。復活は救いの保証とも言い換えられます。
1.復活はあがないの完成のしるし(5~7)
イースターはイエス・キリストが十字架にかかられて、死んで三日後によみがえられたことを記念し記憶する祝日です。日本ではクリスマスはよく知られて盛んに祝われますが、キリスト教ではイースターが最も重要な祭りです。イースターは、キリスト教信仰の基盤となる十字架と復活の出来事を記念する祝いであり、復活はあがないの完成を保証するしるしとなったからです。「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」(Ⅰコリ 15:17 新改訳)とあるように、メリル・C・テニィは「復活なくして贖いはない。…仮に、キリストも他の人間と同じく死に屈したとすれば、その死は、殉教者とか英雄の死の類と見られたであろう。しかしそれではキリストの死が、人類の救いをもたらすことは不可能なのだ。復活こそは、キリストが他の人々とは別であるということを際立たせ、またその生涯に起こったすべてに価値を認めさせるものである。」としています。
5~7節で人々が律法を守ること(行い)によって義を得ようと、実行不可能な間違いをおかすが、人が義とされるために必要なことは、神様の側に全て用意されたので、わたしたちはただ救いを受け入れ信仰を告白すればよいのです。事実キリストはすでに十字架にかかり、陰府に下られそこからよみがえられました。わたしたちが救われるために難行苦行は必要ありません。
2.信仰による義を得るには(8~10)
それなら信仰による義認を得るために、人は何をするべきなのでしょう。それは9節の二つの告白①イエスは主である ②神が死人の中からイエスをよみがえらせた にあります。 「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(9~10節)。信じることと告白することは、別々ではなく一つの出来事の内面と外面を表します。人は心の中で信じる時、言葉となって表わされます。したがって人は心で信じて、口で告白すれば、救われるのです。信仰と告白は一体となって働きます。告白には罪の告白も含まれます(Ⅰヨハネ1:9)。「イエスは主である」という告白も、復活なしにはイエス様を神として礼拝することはなかったでしょう(ヨハネ20:28)。
3.全ての人の救いの十字架 (11~13)
二つの信仰の告白によって、救いが与えられました。『聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」』と言っています(11)。イエス様は人類の最大の脅威でどんな鉄人でも勝ち目のない強敵である死からも、復活によって勝利されたのです。イエス様を信じることで、どんなに窮地に立たされても絶望することはもはやないのです。
ここでは「救われる」という句が三回(9、10、13)、また「すべての人に」という句も三回(11、12、13)使われることで、ユダヤ人と異邦人の区別なく信仰によって救われるという福音の普遍性を強調しています。復活という歴史的事実を土台として、あがないは二千年前に完成しています。あなたは「主イエス様を信じます」という単純な信仰の告白だけで救われます。