聖 書:ヘブル11章6~13節

(6) 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。(7) 信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。(8) 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。(9) 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。(10) 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。(11) 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。(12) このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。(13) これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
信仰の人アブラハムは、神からの声を聞いて立ち上がり、どこへ行くのかを知らないで出て行きました。自分の故郷と父母の絆を断ち切ったアブラハムの信仰決断の力はどこにあったのか。その要因を見て参りましょう。

Ⅰ.神に個人的に会う
 天地万物を創造された真の神にお会いする時、人は二つの変化を体験します。
a.神の導きを優先する
 自己中心という生来の人生観、生き方の虚しさを知った人は、人が神の愛と計画の中で創造されたことを知り、神の計画の中で生きることに人生の意義を見出します。
b.価値観の変化
 信仰によって回心し、新生体験をする時に、人は価値観が変化した自分を発見します。それまで尊いと思ってもの(物質、名誉心、目に見える世界)から、いつまでも変わらない神のことばと霊的なものに心が占められます。
Ⅱ.神の御声を聞く 
信仰は本来、神対人間の個人的な関係から生まれます。人は神の前に自分の意志と決断によって進み出る時、天来の声を聞くことになり、人生の歩みは、その声を「力」として成されます。信仰の人は「ここに道あり!」と言われる神のことばを聞いてこそ創造的な日々を送ることが出来るのです。
Ⅲ.全面的な信頼
 砂漠の中の死の淵に立たされたアブラハムとその妻サラに力と確信を与えたものは、御声をかけて導かれた神を「真実な御方」と人格者として信頼したことにありました。