聖 書:マタイ28章1節~10節     

(1)さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。(2) すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。(3) その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。(4)見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。(5) この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、(6) もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。(7) そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。(8) そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。(9)すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。(10) そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

 日本プロテスタント宣教150周年という記念すべき年を迎えました。私たちの教会はこの年を画期的な証しの年としたいと願っています。本日は喜ばしい復活祭(イースター)礼拝です。共に復活の主にお出会いして、復活の力に満たされて、創立52年目に向かって前進したいものであります。

Ⅰ.キリスト復活の告知 (1~6)

 「安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた」(1)のです。女たちは安息日の明けるのを待って、墓へと急ぎました。愛する主のご遺体にでもお会いしたいという願いが、彼女らを走らせたのです。封印されていた石を動かすことは難題でしたが、それはすでに御使たちによって動かされていたのです。御使たちの姿は「いなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった」(3)のです。「見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった」(4)のです。キリストの復活という、誰もが経験したことのない、超自然的な出来事に遭遇したのですから、腰を抜かすほどの驚きであったことは、理解するのに難しいことではありません。御使たちは女性たちに向かって「もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい」(6)と主が復活されたことを改めて告知したのです。
Ⅱ.キリスト復活の特権 (7~10)
キリストの復活を告知された女たちは大きな特権に与ったのですが、それは同時に大きな責任の伴うことでした。御使は女性たちに「急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたにこれだけ言っておく」(7)。これを聞いた女たちはどうしたのでしょうか。「そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」(8)のです。その途中、「イエスは彼らに出会って、『平安あれ』と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した」(9)のです。
 さらにイエスは彼らに「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」(10)と言われたのです。御使の命令に素直に従った者は、復活の主にお会いできるだけでなく、多くの人々に復活の主を紹介する特権に与ることが出来るのです。

Ⅲ.キリスト復活の宣教 (16~20)

 マグダラのマリヤとほかのマリヤから伝え聞いた弟子たちは、みな同様に復活の主にお会いしました。そこで、彼らは復活の主ご自身から「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(20)という命令と約束をお与えになりました。
キリスト教の信仰は復活信仰です。この2千年間、人々は復活の事実を証し続けてきました。150周年記念大会の標語は「キリストにあってひとつ-主の証人として」です。信仰復興(リバイバル)の原点はここにあるのです。