聖 書:エペソ2:4~7

(4) しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、(5) 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――(6) キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。(7) それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。

 世界的な基督教作家であるフィリップ・ヤンシーが恵みに関して一つの本を書きました。本のタイトルは「What’s So Amazing About Grace?」です。彼はその本の中で最も基督教的な言葉、基督教の一番大きな特徴を表す言葉、基督教だけあって他の宗教にはない言葉、それは「恵み」だと言っています。彼の定義によりますと「恵みとは神の愛をもっと頂けるために、人間が出来ることは何一つもないと言う意味」だそうです。韓国のクリスチャンが一番好きな言葉は「神の恵み」です。一週間の生活の中で恵みという言葉は口癖になっているくらいです。その反面、日本の教会に1%足りない概念があるとしたら、それが神の恵みではないかと思います。今日は神様の恵みに関して黙想したいと思います。
Ⅰ.恵みによる救い 
エペソ書には恵みという言葉が12回出てきます。恵みは人の努力や行いによってもらえるものではありません。神様から一方的に与えられるプレゼントです。1節で「罪過と罪とによって死んでいた者」であった私達が、3節で「肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、生れながらの怒りの子」であった私達が、10節の「神の新しい作品」に変わりました。この変化を引き起こした原因は神様の恵みです。私達は神様の恵みによって救われ、神様の恵みによって、教会で奉仕をしています。神様から恵みを頂いた人は生活の中に自然に現れます。神様から頂いた恵みが大きな人は、神様への愛を形で表します。たとえばルカ7章を見ますとイエス様を食事に招待したあるパリサイ人と罪の女性の話があります。恵みの差が涙の差で表れます。恵みの差が顔の輝きで表れます。恵まれた人と恵まれていない人との差は主に捧げるものや捧げる量、捧げる質に差があります。
Ⅱ.具体化した救いの恵み 
神の救いの恵みが具体化しましたのが5~6節に三つあります。ここには「共に」が三つあります。
1)キリストと共に生かし、
2)共によみがえらせ、
3)共に天上で座につかせて下さった。
 これらの三つをもうちょっと具体的に繰り返しますと、私達は、
 *死ぬことも共に、生きることも共に(ガラテヤ2:19、20)
 *生かされることも共に(ヨハネ11:25-26)
 *よみがえりも共に(Iテサロニケ4:16)
 *天上の座に着くことも共に(黙示録3:21)
 今年一年間を振り返ってみて、今年も神様の溢れる恵みの中で暮らして来ました。その恵みは数え切れないほど多いです。神様の恵みが溢れると信徒一人一人は一致団結して主の御名をほめたたえるようになります。今年も主の恵みが多かったのですが、来年はもっと神の恵みが全教会に満ち溢れますように祈りましょう。