聖 書: マタイ28:11~15

(11) 女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。(12) 祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、(13) 「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。(14) 万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。(15) そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。

 イースターおめでとうございます。イエス様の十字架と復活はキリスト教において最も重要な部分です。重要なので弟子達に沢山書いてもらいたかったのですが、残念なことに四つの福音書共に十字架と復活は短く取り扱われています。使徒達は十字架と復活に関してとても選別していくつかの記録だけ残しました。なぜこんなに少ないでしょうか。具体的な答えはございませんが、私なりに黙想したことを分かち合いながら今日の箇所を考えましょう。
1.復活は信じること
 復活は信じることであって、説明することではありません。説明することで信仰が急に芽生えることはありません。聖書を書き記した使徒たちの共通している特徴は長く説明しないことでした。今日の箇所を見ても真実な証人達の証言はとても簡潔です。しかし、偽りの証人は説明が長いです。短い文書でも救われる人は救われ、救われない人は沢山書いてあげても逆に躓きます。
2.復活をめぐる二人(集団)の証言
 イエス様の当時、復活に関して証言する集団が二ついました。一つは真実を語る証人たちです。もう一つは偽りを語る証人たち、あるいは沈黙してしまった証人たちです。今日の箇所にはイエス様の復活を否定して、偽りのものにしようと努めた人々がいます。偽りの証言者と真実の証言者を比べて見ると面白いです。
11節 女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰った
12節 祭司長たちと長老たちは兵卒の報告を聞いて集まった。
13節 偽りの証言を命令された
14節 兵卒達は祭司や長老達から偽りの約束をもらった。
15節 兵卒たちは祭司長や長老達からお金をもらって教えられた通りにユダヤ人の間に   ひろめた。
3.今日の復活の二人の証人
 キリスト者は復活に関して二つの中で一つの反応を見せます。一人は復活に関して確信がないので何も言わない人です。もう一人は復活の真実を熱心に伝える人です。私達は一応キリスト者なのでローマ兵卒みたいに偽りの証言はしません。しかし、確信がないと沈黙してしまうことはあります。沈黙は否定の一部分です。
4.恵みによる復活信仰
 復活の信仰は神の恵みによるものです。復活は人間の証言を通して説得出来るものではありません。私達が努力したからと言って復活の主が見えるわけではありません。私達が拒否したからと言って全く復活の主を拝見出来ないことでもありません。最も熱い信仰を持っていたマグダラのマリア、信仰がなかったトマス、落胆してエマオに行く二人の弟子、教会を滅亡させようと気がおかしくなって暴れていたパウロ。イエス様は神の主権によって復活の体を見せようと定められていた人々には現れました。しかし、現れようと定められていなかった人々には復活の姿を見せませんでした。イエス様の復活をあれほど否定していたパウロでさえ、偉大に用いられたのなら、私達も神様に用いられる日を楽しみにしながら希望を持って信仰に励みましょう。