聖 書:ピリピ人への手紙1章27節~30節

(27) ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、
(28) かつ、何事についても、敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救のしるしであって、それは神から来るのである。
(29) あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。
(30) あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのである。

 聖霊降臨日(ペンテコステ)は、クリスマス、イースターと並ぶ重要な教会暦の一つです。この日は「五旬節」(使徒2:1)と呼ばれ、[第50の]という意味から[ペンテコステ]と呼ばれるようになりました。それは大麦の初穂の束を捧げる日から数えて50日目に行われた祭日でした。7週間経過したことから「七週の祭」と呼ばれ、小麦の収穫を祝う喜ばしい時でした。「過越の祭」、「仮庵の祭」と並んで三大祭りとも呼ばれています。五旬節は過越の祭から数えて50日目に行われました。聖霊の降臨は主が復活されてから50日目に実現しました。背後にある神のご配慮の素晴らしさに驚くばかりです。
 [相応]とか[不相応]という言葉がりますが、これは[ふさわしい、ふさわしくない]という意味で、[分相応、分不相応]、つまり[身分にふさわしい、身分にふさわしくない]というように使われます。パウロは「福音に相応しく生きる」ことを勧めています。
Ⅰ.福音の恵みに与る (27a)
 [福音に相応しく生きる]とは、換言すれば[キリスト者らしく生きる]ことに他なりません。キリスト者とは、キリストを信じる者を意味していますが、正確に言うならば、
[キリストと一つにされている。キリストとしっかり結び合わされている]、聖霊降臨日を念頭に置くならば、[聖霊に満たされる]ことであると言えます。
 「福音」とは[幸福な音信]を縮めたもので、神が人間に与えられた[良い知らせ・グッドニュース]という意味です。それがなぜ良い知らせなのかと言いますと、人間が求めているすべての必要なものが福音に含まれているからに他なりません。凝縮して言えば「罪の赦しと神との和解の知らせ」ということに尽きます。キリスト者とは、神からの賜物である福音の恵みに与った者です。そして更に福音が提供する豊かな恵みに与り続けることの中に、福音に相応しく生きるキリスト者の生き方があります。
Ⅱ.一つ心になって戦う (27b~28)
 パウロは「一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い」と言っています。主は宣教の初めに「神の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」(マルコ1:14-15)、昇天を前にして「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(16:15)と言われました。キリスト者は[この世から召し出され、神の国に属する者]ですが、同時に[この世に遣わされた者]でもあります。[神の国の生き方とこの世の生き方]には大きな違いがあります。従って両者の間には常に大きな摩擦が生じ、戦いが起きるのです。
そこでキリスト者は決して孤立することなく、一つ心になって結束することが必要になってくるのです。ここに福音に相応しく生きるキリスト者の生き方があります。
Ⅲ.キリストのために苦しむ (29~30)
パウロは「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている」と言っています。人生には様々な苦難が伴いますが、更なる苦難はその意味が分からないことではないでしょうか。自分が蒔いた種を刈り取るのは仕方のないことですが、理由の分からない苦難に合うことほど辛いことはありません。しかし何と幸いなことでしょうか。キリスト者にとっての苦難の意味は、畏れ多いことに「キリストのため」なのです。それ故にキリスト者はどのような苦難にも喜びをもって堪え忍ぶことができるのです。ここに福音に相応しく生きるキリスト者の生き方があります。
 パウロは「福音に相応しく生活しなさい」と勧めています。福音の豊かな恵みに与り、キリスト者同志が結束してこの世と戦い、あらゆる苦難がキリストのためであることを知って、喜びと感謝をもってキリスト者らしく生きる者とさせて頂きましょう。