聖 書:ゼカリヤ4章1節~10節前半

(1) わたしと語った天の使がまた来て、わたしを呼びさました。わたしは眠りから呼びさまされた人のようであった。(2) 彼がわたしに向かって「何を見るか」と言ったので、わたしは言った、「わたしが見ていると、すべて金で造られた燭台が一つあって、その上に油を入れる器があり、また燭台の上に七つのともしび皿があり、そのともしび皿は燭台の上にあって、これにおのおの七本ずつの管があります。(3) また燭台のかたわらに、オリブの木が二本あって、一本は油をいれる器の右にあり、一本はその左にあります」。(4) わたしはまたわたしと語る天の使に言った、「わが主よ、これらはなんですか」。(5) わたしと語る天の使は答えて、「あなたはそれがなんであるか知らないのですか」と言ったので、わたしは「わが主よ、知りません」と言った。(6) すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。(7) 大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。彼は『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、かしら石を引き出すであろう」。(8) 主の言葉がわたしに臨んで言うには、(9) 「ゼルバベルの手はこの宮の礎をすえた。彼の手はこれを完成する。その時あなたがたは万軍の主が、わたしをあなたがたにつかわされたことを知る。(10) だれでも小さい事の日をいやしめた者は、ゼルバベルの手に、下げ振りのあるのを見て、喜ぶ。これらの七つのものは、あまねく全地を行き来する主の目である」。

 今日は毎年恒例の教区講壇交換という事で、今年は東京教会の私、土屋開夫が来させて頂きました。来年から新会堂のための工事が始まるとお聞きしていますが、今日の聖書の内容は「神殿を建て直す」という場面ですので、荻窪の教会の状況と重なる部分もあると思います。
1.まず神殿(礼拝)を建て直す 
紀元前586年頃、イスラエルの人々は堕落した罪のゆえに神様の懲らしめを受け、バビロンによって国が一度、滅ぼされてしまいました。けれども70年間の懲らしめの期間が過ぎた時、神様はイスラエルの人々をバビロンから解放して下さいました。
 そして、神様は、町と国を復興するにあたり、まず何より神殿を最初に建て直すように命令されました。そもそもなぜイスラエルの国が滅びたか、それは一番大事な、真の神様への信仰、礼拝、そこが崩れたから、国が滅んだ訳です。だから、まず神様を礼拝する神殿を建て直しなさい、と命令されました。
 皆さんももし、何かを一からやり直そう、生き方をやり直そうと考えている事があるとするなら、まず自分の神様に対する信仰態度を立て直す、そこから始める事が重要です!
2.困難により挫ける民
 イスラエルの民は、神様の命令どおり、神殿再建の工事に取り掛かりました。ところがスタートして、あっと言う間に挫けてしまったのです。なぜなら、イスラエル人が留守の間に住み着いた敵に激しく妨害されたのです。イスラエル人々は「ただでさえ大変なのに、こんなに敵に妨害されたんでは、もう無理だ、諦めよう、疲れた・・・」といって、神殿再建工事を途中で中断してしまったのです。
 皆さんも、神様の前に何かの目標をたて、それをやり遂げようと思って始めたけれど、あまりにも困難が大きくて、壁にぶつかって挫折してしまった、諦めて止めてしまった、という経験はあるでしょうか?どんなに良い働きでも、簡単ではありません。困難はつき物です。また悪魔が信仰の歩みを邪魔するのです。信仰の道と言うのは障害物競走のようなものです。
 イスラエルの民も、せっかく良いスタートを切りましたが、すぐに挫け、15年間も再建工事はストップしたままになりました。
3.主の励まし
 しかし、ここで預言者ゼカリヤが神様からの励ましの幻を見ます。1~3節。七枝の燭台は、神殿の中に置いて中を明るく照らした物です。この燭台は神殿を象徴し、またイスラエルの国を象徴し、また「神の国」を象徴していると言えるでしょう。
 そしてその両側に二本のオリーブの木がある。炎が燃え続けるために、オリーブの木から絶えず油が注がれるのです。この油は「聖霊」を示しています。
 4~6節。この時の皆のリーダーがゼルバベルという人ですが、この人がそもそも挫けていました。その彼に神様はこう言いなさいと言われました、“万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。”
 この神殿を再建するのは、いいや、神殿だけではない、このイスラエルの国をもう一度新しく生まれ変わらせるのは、人の数の勢いじゃない、誰かの力でもない、“わたしの霊によるのである。”! つまり、神であるわたしの霊がこの事をするのだ!と言っておられるのです!
 どうぞこれを皆さん一人一人、ご自分にあてはめて下さい。信仰の土台は据えた。信仰のスタートは切った。けれども挫けている。山が大きすぎて。どうせ無理だ、と。しかし、人間の力、自分の力の限界、無力さを本当に知った時こそ、本気で神様に頼って祈り、そして神様の力によって、物事が成し遂げられる!神の霊によって完成するのです!もう一度信じて、もう一度祈って、もう一度立ち上がりましょう!