聖 書:創世記1章26節~31節、2章7節、2章18節~25節

1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
1:28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
1:29神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
1:30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
1:31神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

2:7主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

2:18また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
2:19そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
2:20それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。
2:21そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
2:22主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、 わたしの肉の肉。 男から取ったものだから、 これを女と名づけよう」。2:24それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
2:25人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

当教会は毎年4月第一聖日を創立記念礼拝として守ってきました。今年は55回目になります。旧会堂における年度最後の礼拝が主の復活祭でありましたが、新年度の最初の礼拝は新会堂建築工事に伴って仮礼拝堂において迎えることになりました。すべては神のご配慮によるものと思い心から感謝いたしております。 この一年間は新会堂に移る移行期間であると共に、また新しい革袋に入れる新しいぶどう酒の醸成、つまり信仰共同体としての最も相応しい在り方を試行する期間でもあります。仮会堂が少し遠くなることから仮事務所での礼拝、ご近所の教会での礼拝などを選択される方々がおられますことから、この一年間は連続した説教ではなく聖書人物伝 を取り上げました。教会の教勢や財政、それにも増して教会員の霊性と交わりが祝福されたものとなることを心から祈り願う者であります。

Ⅰ.アダムの創造
聖書は「はじめに、神は天と地を創造された」(創1:1)によって始まります。5日間自然界の創造の後、6日目に人は神によって創造されました。神は人が生活していく上において必要なものすべてをまず創造して下さったのです。その際「神は自分のかたちに人を創造された」(1:27)、また「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻から吹 き入れられた。そこで人は生きた者となった。」(2:7)と記されています。ここで分かることは、本来人の肉体は「土のちり」に過ぎないものであるが、そこに「命の息」、つまり神の命を吹き入れられることによって、人は尊厳な者となったのです。 1.アダムは罪を知らない純粋な存在でした。 「命の息」を吹き入れられたアダムは、まさに神の霊・神の命に満ち溢れた存在となりました。神に背くことも、神の好まれない言動をすることも、全く考えもしないような、罪とは全く無関係の存在として生活することが出来ていたのです。何とも、羨ましい存在ではありませんか。やがてエバと結ばれて夫婦となるのですが、「人とその妻と は、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」(2:24)のです。 2.アダムは祝福された存在でした。 「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ』」(1:28)と言われ、「エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた」(2:8)のです。

3.アダムは権威ある存在でした。神は「地を従わせよ。・・生き物とを治めよ」(1:28)、「人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった」(2:19)と記されている通りです。

Ⅱ.エバの創造
聖書は「人にはふさわしい助け手が見つからなかった。・・主なる神は人からとったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた」(2:20-22)のです。人はその時、「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」と感動のあまり叫んだのです。ここに人類史上最初の夫婦が誕生しました。ここに夫婦の神秘性を見出すことができます。人(アダム)は男という意味ではなく、単に人を意味する言葉です。人のあばら骨からエバ=女が造られました。神が人を創造された初めから女は人の中に存在していたことになります。神は創造の初めから女性を男性の助け手として用意しておられたのです。アダムとエバは堕落するまで、エデンの園において円満な夫婦として素晴らしい理想的な夫婦として過ごしたに違いありません。 人は「霊と心とからだ」から出来た存在です。この三者は常に良いバランスが保たれている必要があります。人として最も大切な部分は神の命である霊性にあります。