聖 書:エペソ5:15~21

(15)そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
(16)今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。
(17)だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。
(18)酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
(19)詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
(20)そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、
(21)キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。

2015年度の教会主題は「礼拝・祈祷」であり、礼拝の信仰告白、祈り、説教、聖礼典と続き、音楽を取り上げる。「キリスト教は歌う宗教である」と言われるように音楽を抜きにして礼拝は語れない。浅学非才なものが勇を鼓して語る。

Ⅰ.聖書時代の音楽
聖書から音楽を見ていくとユバルがまず出てくる「その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった。」(創世記4:21)。時代は飛ばすが、ミリアムの凱歌(出エジプト15章)、エリコの角笛、ダビデは琴の名手であり、賛美や楽器が散見できる。王国時代となりソロモンが神殿を建築し、祭儀・祭礼に聖歌隊や楽器の使用が出てくる。王国の分裂、バビロン捕囚の時代にシナゴーグ(会堂)が生まれ、ラビと共に歌唱指揮者がいた。新約聖書にも音楽はあまり出てこないが、イエス様は過越しの食事の後、さんびを歌ってゲッセマネに向かわれた(マタイ26:30)。ペンテコステ以降の初代教会での賛美は詳しくはないが、ピリピ2:6~11、エペソ5:14といったキリスト賛歌が歌われていた。

Ⅱ.聖書時代後のキリスト教音楽
エルサレムの初代教会から現在、全世界の教会音楽はどれほど多種多様かと思う。過去を考えると膨大な量の賛美曲、スタイルがあろう。日本で教会音楽というと西洋音楽というイメージがある。日本にキリスト教が伝わったのも欧米を経由してであり、西洋音楽の伝統のキリスト教音楽となった。讃美歌(1954年版)の最も古い歌詞は35番で3世紀のギリシャ語賛美歌になる。現在最古の賛美歌は3世紀のアレキサンドリアのクレメンスのもので、殆ど同時代のものになる。聖歌(1958年版)では、8世紀頃のダマスコの聖ヨハネの2曲(169番、170番)が入っている。宗教改革は自国語での会衆賛美を強調した。カルバンは御言そのものの詩篇歌を斉唱で歌い、ルターはあらゆる形で賛美すべきとした。ここにも多様性がある。

Ⅲ.詩とさんびと霊の歌
先に言ったようにエペソ5:14がイエス様をたたえる賛美である。続いて御霊に満たされて、悪い時代の中で、賢く歩むようにとの勧めである。聖霊の実が「詩とさんびと霊の歌」である。読んで解るように、詩、さんび、霊の歌は別種のものである。詩は旧約以来の詩篇を指しいる、さんびは神様をたたえる定まった形の賛美歌を意味している。霊の歌は良い意味で感動を伴った魂を注ぎだす即興的な賛美であろう。20・21節につながっていくように、賛美は感謝と奉仕を生み出していく。使徒行伝16:25からにあるようにピリピの牢獄でパウロとシラスが祈りと賛美を続けた時に地震が起き、神様の働きが進んだ。私は賛美が口から出る時は普段の時もあるが、喜びか悲しみかの時がより深いと感じる。

J・S・バッハは、手紙や楽譜に自署でS.D.Gとサインした。ラテン語でSoli Deo Gloriaの頭文字であり、「ただ神に栄光があるように」という意味である。唯一の賛美を受ける方に、礼拝では共に、生活の中で一人一人神様の栄光を賛美し、力をいただいていこう。