聖 書:ヨハネ2:1~11

(1)三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
(2)イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
(3)ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
(4)イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
(5)母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
(6)そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
(7)イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
(8)そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。
(9)料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで
(10)言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
(11)イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

5月第二日曜は「母の日礼拝」です。アンナ・ジャービスは南北戦争中に敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させ「母の仕事の日」と称して活動しました。彼女の娘アンナは母親の死後2年経った1907年5月12日、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈りました。これが母の日の起源とされています。今日は「主の母マリヤ」について考えてみます。

Ⅰ.母親としてのマリヤ (ルカ2章参照)
マリヤはある日、御使ガブリエルから「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。」と告知されます。マリヤは「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう」との言葉を信じて「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」と従いました。その後皇帝アウグストの勅令によってナザレからベツレヘムまで移動し、そこでイエスを産み母親となりました。その後8日が過ぎたので割礼を受け、イエスと名づけました。さらにきよめの期間が過ぎたので、律法に従って幼な子と「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」とを犠牲としてささげ、親としての責任を果たしました。イエスが12才になった時、過越祭にエルサレムに上った際、迷子騒動が起こります。マリヤは「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたをさがしていたのです」と苦情を呈します。ここではイエスと両親との間に認識の違いが生じます。しかしその後イエスは両親に仕え、マリヤは「これらの事をみな心に留めていた」のです。両者の麗しい関係を見ることができます。

Ⅱ.同労者としてのマリヤ (ヨハネ2:1~11)
ここは「カナの婚礼(水がぶどう酒に変えられた奇跡)」として有名です。イエスによる奇跡にはいつもイエスのメシヤ性が提示され、ここでは律法による不完全な救済ではなく、イエスの十字架による豊かな救済が示されています。神はイエスの最初の奇跡のためにマリヤを接待役として用いられます。イエスや兄弟たちや弟子たちが招待されている事を考えますと、婚礼の主人公はマリヤとは親しい関係にあったようです。ところが人生最大の儀式において不祥事が起こったのです。マリヤは恥を忍んでイエスに「ぶどう酒がなくなってしまいました」と訴えます。イエスからは「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」という返事が返ってきます。一見、素っ気ないように感じますが、マリヤは「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」と僕たちに伝えます。こうしたマリヤの態度から素晴らしい奇跡が起こされ、弟子たちがイエスを信じ、主の栄光が現されたのです。

Ⅲ.主の僕としてのマリヤ (ヨハネ19:25,使徒1:14)
マリヤが最後に登場するのは十字架の下と二階座敷における祈りの場面です。カナにおける奇跡の後、マリヤは表舞台から降り、イエスの僕としての立場に立っていたと思われます。十字架の下には、弟子たちの多くが逃げ去る中で、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤと愛弟子とがたたずんでいました。イエスは復活され40日後に昇天されますが、その際、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」という言葉を残されました。それを聞いた人々はエルサレムの二階座敷に集まって、「特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた」のです。その結果、ペンテコステの日に聖霊がくだり、多くの人々が聖霊を受け、救われる人々が次々に起こされ、新約の教会が誕生するに至るのです。