聖 書:創世記 第24章1~33節,49~51節
(1)アブラハムは年が進んで老人となった。主はすべての事にアブラハムを恵まれた。
(2)さてアブラハムは所有のすべてを管理させていた家の年長のしもべに言った、「あなたの手をわたしのももの下に入れなさい。 (3)わたしはあなたに天地の神、主をさして誓わせる。あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない。
(4)あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」。
(5)しもべは彼に言った、「もしその女がわたしについてこの地に来ることを好まない時は、わたしはあなたの子をあなたの出身地に連れ帰るべきでしょうか」。
(6)アブラハムは彼に言った、「わたしの子は決して向こうへ連れ帰ってはならない。
(7)天の神、主はわたしを父の家、親族の地から導き出してわたしに語り、わたしに誓って、おまえの子孫にこの地を与えると言われた。主は、み使をあなたの前につかわされるであろう。あなたはあそこからわたしの子に妻をめとらねばならない。
(8)けれどもその女があなたについて来ることを好まないなら、あなたはこの誓いを解かれる。ただわたしの子を向こうへ連れ帰ってはならない」。
(9)そこでしもべは手を主人アブラハムのももの下に入れ、この事について彼に誓った。
(10)しもべは主人のらくだのうちから十頭のらくだを取って出かけた。すなわち主人のさまざまの良い物を携え、立ってアラム・ナハライムにむかい、ナホルの町へ行った。
(11)彼はらくだを町の外の、水の井戸のそばに伏させた。時は夕暮で、女たちが水をくみに出る時刻であった。
(12)彼は言った、「主人アブラハムの神、主よ、どうか、きょう、わたしにしあわせを授け、主人アブラハムに恵みを施してください。
(13)わたしは泉のそばに立っています。町の人々の娘たちが水をくみに出てきたとき、
(14)娘に向かって『お願いです、あなたの水がめを傾けてわたしに飲ませてください』と言い、娘が答えて、『お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう』と言ったなら、その者こそ、あなたがしもべイサクのために定められた者ということにしてください。わたしはこれによって、あなたがわたしの主人に恵みを施されることを知りましょう」。
(15)彼がまだ言い終らないうちに、アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘リベカが、水がめを肩に載せて出てきた。 (16)その娘は非常に美しく、男を知らぬ処女であった。彼女が泉に降りて、水がめを満たし、上がってきた時、
(17)しもべは走り寄って、彼女に会って言った、「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」。
(18)すると彼女は「わが主よ、お飲みください」と言って、急いで水がめを自分の手に取りおろして彼に飲ませた。
(19)飲ませ終って、彼女は言った、「あなたのらくだもみな飲み終るまで、わたしは水をくみましょう」。
(20)彼女は急いでかめの水を水ぶねにあけ、再び水をくみに井戸に走って行って、すべてのらくだのために水をくんだ。
(21)その間その人は主が彼の旅の祝福されるか、どうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。
(22)らくだが飲み終ったとき、その人は重さ半シケルの金の鼻輪一つと、重さ十シケルの金の腕輪二つを取って、
(23)言った、「あなたはだれの娘か、わたしに話してください。あなたの父の家にわたしどもの泊まる場所がありましょうか」。 (24)彼女は彼に言った、「わたしはナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です」。
(25)また彼に言った、「わたしどもには、わらも、飼葉もたくさんあります。また泊まる場所もあります」。
(26)その人は頭を下げ、主を拝して、
(27)言った、「主人アブラハムの神、主はほむべきかな。主はわたしの主人にいつくしみと、まこととを惜しまれなかった。そして主は旅にあるわたしを主人の兄弟の家に導かれた」。
(28)娘は走って行って、母の家のものにこれらの事を告げた。
(29)リベカにひとりの兄があって、名をラバンといった。ラバンは泉のそばにいるその人の所へ走って行った。
(30)彼は鼻輪と妹の手にある腕輪とを見、また妹リベカが「その人はわたしにこう言った」というのを聞いて、その人の所へ行ってみると、その人は泉のほとりで、らくだのそばに立っていた。
(31)そこでその人に言った、「主に祝福された人よ、おはいりください。なぜ外に立っておられますか。わたしは家を準備し、らくだのためにも場所を準備しておきました」。
(32)その人は家にはいった。ラバンはらくだの荷を解いて、わらと飼葉をらくだに与え、また水を与えてその人の足と、その従者たちの足を洗わせた。
(33)そして彼の前に食物を供えたが、彼は言った、「わたしは用向きを話すまでは食べません」。ラバンは言った、「お話しください」。

(49)あなたがたが、もしわたしの主人にいつくしみと、まことを尽そうと思われるなら、そうとわたしにお話しください。そうでなければ、そうでないとお話しください。それによってわたしは右か左に決めましょう」。
(50)ラバンとベトエルは答えて言った、「この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません。 (51)リベカがここにおりますから連れて行って、主が言われたように、あなたの主人の子の妻にしてください」。

三浦綾子の「塩狩峠」の映画の中で永野信夫の殉死を知った婚約者ふじ子が悲痛な思いの中で「主よ御手もて引かせ給え~みむねならば われいとわじ」(讃美歌285番)と祈るように、口ずさむ場面は今も強く脳裏に焼きついています。

Ⅰ.信仰の継承
「イサクとリベカの結婚」は理想的な結婚として語り継がれています。この話は神の確かな導きによって実現しました。
1.父アブラハムに信仰継承という使命感。彼は①偶像崇拝者でない、②ヘブルの血統を持つ、③約束の地に定住することを条件にしてしもべを派遣しました。
2.しもべは「お願いです。あなたの水がめの水を飲ませてください」と言うと、~その者こそイサクに定められた嫁ということにしてください」(12-15参照)という祈りを捧げました。
3.「この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません」(50-51)という信仰篤い家族が備えられていました。
4.リベカは家族の同意を神の導きと信じて従いました。
5.イサクは神の導きを信じて待ちました。聖書は「イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た」(67)と記しています。

Ⅱ.私たちの模範
イサクの結婚は私たちの模範であることは確かです。しかし現実には様々な危機に直面することもしばしばあります。世の中に何の問題もない夫婦や家庭は皆無に等しいでしょう。それでは何が模範なのでしょうか。それは彼らが「信仰」という最強の価値観を共有していた点です。具体的には「神は確かな御手をもって最善の道に導かれる」という信仰です。聖書は「夫たる者よ、妻を愛しなさい。妻たる者よ、夫に仕えなさい」(エペソ5:22-25)と教えています。これは人間関係における秩序を教えたものです。夫婦は互いの特異性を尊重し、伴侶であり、向き合う存在であり、そして何よりも「いのちの恵みを共どもに受け継ぐ」(Ⅰペテロ3:7)存在なのです。現状がどうであれ、ひとたび夫婦とされた家族の上に、今日も神様の確かな導きの御手が伸ばされていることを信じて疑いません。

Ⅲ.キリストと教会の象徴
聖書は夫婦の関係は「キリストと教会」(エペソ5:31-33)の象徴であると教えています。①アブラハムは父なる神を表し、花婿であるキリストに相応しい花嫁を求めておられます。②忠実なしもべは聖霊を表し、助け主として教会を整えて下さいます。③リベカは純潔な花嫁、キリストの花嫁としての教会を表しています。④イサクは花婿であるキリストを表し、モリヤの山の祭壇に素直に上った姿は十字架のキリストを象徴しています。⑤莫大な贈り物は神の豊かな恵み表しています。⑥リベカの家族は教会に出席するすべての人々を表しています。なぜなら、神は信じる者の家族を特に愛しておられ、聖霊の配慮を通して必ず御国に入るに相応しい者として導いて下さることを信じるからに他なりません。
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒行伝16:31)